ありがとう熊さん

食品スーパーのおやじが、生き方について辛いことも楽しいことも含めて、心を込めて書かせてもらいました。

「みんな自分のことしか考えていない」と言うと頑張っている人の気持ちを踏みにじる

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売り場がボロボロです。

食品スーパーに勤めています。利益を確保するために、どうしても使える人件費に限りがあるため、とても少ない人員で営業をすることがあります。そのような日は商品の補充が追いつかずに売り場がボロボロになります。

従業員はみんな、店のことを思って頑張っています。なので、売り場がボロボロになるのは大きなストレスです。

来て頂いたお客様に気持ち良く買い物をして頂くためにはもっといい売り場を維持しておきたいと思います。しかし人手不足で商品の補充が追いつきません。

手が回らないのは誰のせい?

みんな頑張っているのは分かっています。しかし社員としてアルバイト、パートさんに指示を出す立場として、もっと効率良く従業員が動いたら今よりも売り場がボロボロにならなくて済むのではないかと思うことがあります。

仕事の指示を出す立場として、どうしても、「これもしてほしい」「あれもしてほしい」とアルバイト、パートさんに多くのことを求めてしまいます。

限界を超えた仕事量を求めている訳ではないのですが、自分が逆の立場なら、もっとこれも出来るし、あれも出来るしという自分の作業のスピードを基準に考えてしまい、それを従業員に求めてしまうことがあります。

そんな私はこのようなことをパートさんに言ったことがあります。

「売り場がボロボロなのは、みんな自分の場所だけを完璧にしようとするからですよ」

人手不足なので、あれもこれもしてほしいという不満から出た言葉でした。するとパートさんは私と真逆の意見を言ってきました。

 

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パートさん 「全部が出来てないよりは、たとえ一つでも出来てたら良いんじゃないですか?」

私 「それも分かるんだけど、お客様は1箇所だけが完璧な売り場の店よりも、浅く広く、まんべんなく、商品の補充がされている店の方が良いものですよ」

パートさん 「それは熊さんがしっかり指示を出さないからでしょ?」

私 「出しても、目の前の仕事だけに集中して全体を考えて動いてくれないんですよ」

「あれもこれもしてほしい」という私の考えと「たとえ一か所でもきちんとしたい」というパートさんの考えは平行線のまま話が終わりました。

そんな話の後、パートさんが、仕事を上がる時間なのに、担当している場所で作業をしていました。

タイムカードを押した後での、サービス残業は問題です。なので「タダ働きは会社として問題なのでやめてくださいね」と言いました。

私 「タダ働きは問題なので、やめてくださいね」

パートさん 「いやいや、これだけはやって帰らないといけないものだから」

私 「分かりました。それは僕がやりますから、帰ってくださいね」

するとパートさんはなぜ自分がやって帰らなければいけないのかという理由を感情的に私にぶつけてきました。

パートさん 「『僕がします』って言うけど、僕はしてくれないじゃないですか?」

私 「・・・・・・」

パーtさん 「これだってね。本当は私が休んでいた昨日にするべき仕事なんですよ。誰もやってくれないんですよ。結局は私しかこれはしないんですよ」

パートさん 「みんな自分のことで手一杯だし、売り場全体がボロボロなのは分かってるけど、それでも、任された場所だけでもきっちりしたいんですよ。だからほっといて下さい」

タダ働きは問題ですが、すぐに終わるということで目をつぶりました。

店全体を考えて指示をだすといってもなかなか細かいところまで見ることが出来ない私です。昨日すべきであったパートさんの仕事まで見ることが出来ませんでした。

結局、全体を考える立場は部門担当者のように細かいところまで一つ一つの部門に対して考えることは難しいように思います。

つまり、私は売り場全体がボロボロであることにストレスを感じてるし、パートさんは自分の任せられた場所がきっちり出来ないことにストレスを感じていました。

それで、お互いに感情的になりました。「ちょっと雰囲気的にまずいなこれは」と思っていたのですが、しばらくしてパートさんが、「熊さん、帰りますね」と言ってきたので、私は・・・

感情的になってないアピールをしました。

満面の笑みで、「お疲れさまです」と言い、イライラしてないアピールをしました

店全体が気になる立場と、自分の任せられた場所だけでもと思う立場では、見ている景色は違うのでしょう。

自分の目線だけで考えると衝突をうむ

店全体を見ようとすると一つ一つの細かい部分が見えなくなりがちです。逆に自分の任せられた部門だけにこだわると店全体が見えなくなりがちです。

みんな店のことを考えた上での行動なのです。

人手不足の職場では、「あれも出来てない」「これも出来てない」と感情的になりがちです。自分が見えている景色が気になって他人が見えている景色がどのようなものか想像できなくなりがちです。

私は店全体をみているつもりでしたが、自分の見えていることだけを考えて他人に見えていることまでは想像できませんでした。

結局のところ「みんな自分のことしか考えていない」と愚痴った私は他人の気持ちを考えていませんでした。

本当に神様がいるのなら、なぜこの世は残酷なのか?

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とにかく教団に来てくれたら・・・

20代の頃、ある宗教団体を信じて、一生懸命布教活動をしていました。一人でも多くの人に神様の存在を知ってもらいたいと言う純粋な気持ちでの活動でした。

神様は存在するという私の言葉を信じない友人

しかし、布教活動はとても難しかったです。3年以上の宗教活動で入信してもらえた数は0人でした。特に思い出に残っているのは親しい友人への口論じみた勧誘です。

神様は人知ではうかがい知れない存在であるという私の勧誘に理屈で返してきた彼との会話が今思い起こすと、とても考えさせられました。

俺を入信させたかったら・・・

私は神様を信じてもらうためには、教団に直接来てもらうのが一番だと思っていました。何故なら直接神様の気というものを感じられる場所だからです。しかし彼は・・・

「神様に力があるのなら、その力で今すぐ俺の信じない気持ちを変えてくれよ」と言いました。

一見、もっともな意見ですが、私はしっかり教団の教義を勉強していたのでこう答えました。

「神様は人間に自主性を与えているんだよ。つまり、信じるかどうかは、人間に任せているんだよ」私の言葉に彼は・・・

「それっておかしくない?神様を信じた方が幸せになれるんだろ?そしたら神様の力で信じるようにするのが神様の親切と言うものじゃないかな?そしたら、そんなに熊君が必死に勧誘なんてしなくても済むのに」と言いました。

人間に与えられた自主性を否定する彼の言葉を聞いて、心の中にイライラした気持ちが生まれました。

しかし、口で説明するよりも、神様の存在を肌で感じることが出来るから教団に来てほしいと言いました。彼は興味本位で、「それの写真ってあるの?」と言ってきたので、待ってましたとばかりに私は・・・

教団本部の豪華で神々しい建物の写真をドヤ顔で見せました。

すると彼は、「すごい金かかってるなー」と感心し、そして・・・

「神様に力があるんなら俺に今すぐ100万円くれよ。そしたら信じるから」と言いました。

とんでもない要求だと思いました。私たちは神様の存在を多くの人に知ってもらいたいためにお布施をしているのです。つまり、お布施は信者から神様への気持ちであって神様からお布施をするというのはおかしな理屈なのです。

しかし彼は、「それって逆じゃないの?」と言いました。

「神様は人間である私たちが好きなんじゃないの?可愛いんじゃないの?それだったら信じてくれる人にご褒美をくれるのが本当の神様じゃないかな?」

「どうして神様ともあろうお方がお金を欲しがるの?神様なんだからお金ぐらい簡単に作れるだろ?神様なんだから、人間が作った紙切れなんて欲しがらないだろ?」

「全知全能の神様なら人間がわざわざ建物を作らなくても、自分で作れるだろ?」

彼には私がいくら説明しても、お布施という神様に対する信者の感謝の行為を理解する事が出来ませんでした。確かに神様なんだからお金を作ることぐらいはたやすいと思うのですが、信仰心によるお布施の意味を理解出来ない彼との会話は平行線になりました。

人の不幸を見て見ぬふりをする神様を何で信じるの?

さらに彼は疑問をぶつけてきました。

「神様は何で人間に戦争という残酷なことをさせるの?やめさせられないの?」

「何の罪もない多くの人を苦しめて、戦争だけでなく、世界中で飢え死にする人も多くいてるし、本当に神様が存在するならこんなことにはなってないと思うんだけどな」

しかし、これは因果応報というもので説明出来ます。

過去の出来事が現在や未来に影響をあたえるという因果応報の理屈です。これを説明すると・・・

「でも、それって神様がそんな残酷な因果応報のシステムを作ってるんだろ?そんなことして心が痛まないのかな?」

因果応報というものはとても複雑で人知では理解できないものです。それでも彼は残酷であるから逆に神様の存在を否定出来ると言いました。そんな彼に、どうしたら神様の偉大さを理解してもらえることが出来るのか途方にくれました。

神様は人知を超えた存在なのに・・・

それでも、私には自信がありました。教団に行けばこの世界を作った神様の存在を肌で感じることが出来るのです。その神様はこの世を想像した神様です。このことを説明すると彼は・・・

「じゃあ、その神様を産んだのはだれ?」

何を言ってるのかと思いました。私たちが信じているのは、この世界の全てを想像したこれ以上ない存在の神様なのです。

つまり、この世が神様を想像したのではなく、神様がこの世を想像したのです。彼の言葉はその教えを理解していない言葉なのです。

まるで、宇宙の果てには何がある的な人知では理解出来ないような議論になりそうで、気分が悪くなったものです。

じゃあ、結局自由じゃないの?

この世の全てを創造した神様のことを彼に肌で感じ取ってもらいたいと必死で説得しましたが、逆に・・・

「この世を作ったのなら、神様を信じない俺も創造されてるんだろ?」

言われてみれば確かにそうかも知れないと思いましたが、逆に、私は、さらに神様に対する自分の気持ちを強固なものにしました。

今、思い起こして感じるのは、理屈よりも肌でその存在を感じている私に彼のもっともらしい理屈が逆に宗教心に大きく火を付けたのです。

「説得出来なかったのは私がまだ未熟だから」と思いました。しかし、彼の理屈は私の頭の中から離れることなく、少しずつボディーブローの様に私の宗教熱を冷ましてくれたのでした。

「最初から上手い人はいない」という甘ちゃんな言葉はプロの世界では通用しない

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職人の世界に憧れて・・・

20代のころ工事現場の職人をしていました。シーリングといって建物の隙間にゴム状のものを埋め込む仕事でした。

手に職をつけて独立が出来る夢のある仕事でした。しかし、なかなか仕上げの作業を任せてもらえなかったのです。

いつまでも難しい仕事をさせてもらえないストレスに悩みました。

シーリングって何?と言う人も多いと思います。

簡単に言うと、ビルの窓ガラスを見るとガラスとサッシの間にゴム状のものが見えると思います。

そのゴム状の物質、実は最初はドロドロの半液体状のものです。最初から出来上がっている固いゴム状の物質ではありません。その半液体状のものを、すばやく固まらないうちに仕上げる職人技が必要です。

作業を簡単に並べるとこうなります。

1 掃除

2 材料を入れる前に材料が奥に行きすぎないようにスポンジ状のものをはめ込んでいく作業

3 材料を入れる前に周りを汚さないようにテープを貼って行く作業

4 ガン打ちといってガンという器具で材料を埋め込んでいく仕事

5 仕上げといって、埋め込まれた材料を綺麗に仕上げる作業

1番と2番は入って1日目の新人でも出来る仕事です。もちろん丁寧な人とそうでない人との差は生まれるのですが、とりあえずは新人はそればかりをすることになります。

しばらくすると、先輩から「お前、そろそろガン打ちしてみるか?」と言われます。これも人によって習得できる期間は違うものの、私が知る限り1年以上シーリングをしている人でガン打ちが全く出来ない人は見たことがありません。

上手い下手はあるものの割とみんな出来るようになります。 問題は3番目のテープ貼りです。ここから器用な人と、そうでない人との差が生まれやすいと思いました。ミリ単位の指の感覚で貼って行くのです。

ただ、何度もやり直しがきくので、ゆっくりやれば何とか出来る作業だとは思います。まぁ、ゆっくりしたら怒られるんですけどね(汗)。

そしてテープ貼りもガン打ちもそこそこ出来るようになると最後の仕上げの作業があります。これは、はっきりと上手い、下手くそが分かりやすいです。

目に見えて仕上がりの綺麗さが職人によって違います。

そんなもの、ゆっくりやれば出来るだろ?と思うかもしれませんが、ゆっくりしていると材料は固まりだします。

一発で綺麗に仕上げないと、何度もやり直しをしたら仕上がりがボロボロになります。 つまり、不器用な人が不器用なりにゆっくりと丁寧にやればいいと言う事ではありません。

なので、比較的簡単なものから感覚を掴んでいき、技を磨いていく必要があります。私は、5年やりましたが、最後の仕上げをほとんどやらしてもらえませんでした。

それに比べて、同じ時期に入った人達はどんどんやらしてもらっていたのです。私は仲の良くなった先輩に愚痴をこぼしたことがあります。

「やらしてもらえないと、いつまでたっても僕は上手くなれないですよ」

すると、先輩は、「上手い奴は最初から上手いんだよ」 つまり、「僕だって、何度もやらしてもらったら上手くなれるのに」という私の考えを否定しました。

私は先輩の言葉が納得いきませんでした。 なぜなら、最初から上手い奴なんていないと思うからです。

学校の先生からも聞いたことがあります。「誰でも最初から完璧に出来る人はいない。だから努力が必要だ」と。しかし、先輩は、「いや、違う。そうじゃない」と言いました。

さらに先輩は「職人はセンスなんだよ」と断言しました。

「なんじゃ、それは?」と腹が立ちました。なぜなら、よくテレビとかでもありますよね。

最初は全然駄目だった人が努力で一流になるっていう話が・・・。 しかし、そんな私の考えは、「勘違い」だと言ったのです。

さらに先輩は、もう一人のベテラン職人に・・・「なあ、そうだろ?職人は努力でなく、センスだよな?」と聞きました。すると、もう一人の先輩も・・・

「本当の事だと思う。いろいろな若い奴見てきたけど、上手い奴は出てきた瞬間から上手いんだよな」と答えました。経験に基づく実感のような理論に私は「そ・・・そうなのかな」と思いました。

ちなみに私は不器用な面があったのですが、なぜか先輩には可愛がってもらいました。その可愛がりと言うのは、面白い奴だな的な可愛がりだったのですけど(汗)。

だから、たまに仕上げを「やってみる?」って言う感じでやらしてもらったりもしましたが、私がモタモタしていると、「ハイ、そこまでーー」と言う感じで、そこからチャンスがしばらく遠ざかったのです。

つまり、教えたことをすぐに出来るセンスのある人しか相手にしてもらえないのです。

それでも私を気にしてくれた先輩は、見て盗めという職人の世界の中で、手とり足とりで教えてくれたことがあります。

「力を抜け」と言われ、先輩が私の手をつかんで、手の動かし方を教えてくれたことがあります。

「オイ、力を抜けって言ってるだろ?」

「え?抜いてますけど」

「いやいや、抜いてないだろ?」

「あっハイ!」

「よし、こうして、こうもっていって、こうすればいいんだよ」

私の手で仕上げをする先輩。その手の動きを覚えろということです。

「じゃあ、やってみろ」

ここまでやってもらってるのに、上手く出来ませんでした。え?そこまでやってもらってて出来ないの?とこれを読んでいる人は思うでしょう。

情けないのですが出来ませんでした。だから、結局は教えた瞬間に感覚をつかむことが出来る人だけにどんどんチャンスが与えられるのです。

だから「職人はセンス」だというのは一理あります。

しかし、チャンスを与えられない悔しさはハンパではありません。仕上げでも簡単なものなら出来ます。

その簡単なものから少しづつステップアップして感覚を磨いていきたいのですが、その場数が与えられません。この場数が与えられないストレスは仲良くなった職人仲間の一人も感じていたようで・・・

「実は面白いことを考えてるんだよ」と私に言った職人仲間の一人

「実は面白いことを考えてるんだよ」 そう言った彼は、3年以上シールの仕事をしていましたが、ある一定のレベルからほとんど自分が成長出来ないことに対する不満をもっていました。

そして、思い切って会社を辞めると言ってきたのです。しかも、彼は私だけに、こっそりと教えてくれました。別のシーリングの会社に行くことを。

「えっ?それってもったいなくないですか?別の会社に行ったら一からのスタートですよ?」

「ええねん。どうせここにいても芽がでないから。それよりも3年やってるからそれなりにガン打ちもテープ貼りも出来るし、別の会社で新人として働いたら逆に目立つと思うねん」

実は彼は、私が先輩から、「上手い奴は最初から上手い」と言われたあの時にそばにいてたのです。

じゃあ、最初から「あっこいつやるな」と思わせたら勝ちなんじゃないか?」という発想になったのです。

つまり、3年間の経験を隠して、その経験をいかにも自分のセンスの良さとしてアピールしてやれという考えなのでしょう。

その後の彼が成功したのかどうかは連絡を取っていないので分かりません。とても残念なことです。逆に私は職人の世界に5年で見切りを付けて、まったく別の仕事をすることにしました。

厳しい現実を受け入れる。

今、先輩から言われた、「上手い奴は最初から上手い」という言葉を思い出すと、その言葉には深い意味が込められているように思います。

最初から上手いという最初って何なんでしょう?そう考えると出会った瞬間。教えた瞬間を指しているのだと思います。

職人の世界なので、単刀直入にものを言う人が多かったので、回りくどく深い意味まで言わなかったのだと思います。

最初というのは生まれてきた瞬間の事ではないはずです。生まれてきてから今までの間に身につけてきたことが問われる瞬間の事だと思うのです。

そう言う意味では、与えられたチャンスを生かすも殺すも、それまでにいかに自分が準備をしてきたかによるのでしょう。

そして、長年やれば報われるという世界でもありません。20年。30年経っても大事な仕事は任せてもらえない職人も山ほどいました。

早い段階から、「こいつは筋が良い。こいつはそうでない。」「こいつはものになる。こいつはそうでない」と振り分けられるのです。

つまり、プロの世界は学校ではないのです。学校なら落ちこぼれても先生が何とかしてくれます。

「最初から上手い人はいない」と子供時代に先生に教わったこと。残念ながら、それは言い訳になる世界です。

あの時先輩が「違う。上手い奴は最初から上手い」と言ったのは、甘ちゃんな私に厳しい現実を教えてくれたのでしょう。