ありがとう熊さん

食品スーパーのおやじが、生き方について辛いことも楽しいことも含めて、心を込めて書かせてもらいました。

次から次に余計な仕事が舞い込んでうんざりする時は、なるようになると素直に思うしかない

自分がやるべき仕事が前に進まない(涙)

今回のお話は「次から次に余計な仕事が舞い込んでうんざりする」についてです。いろいろとツッコミ所のある気持ちですよね。

そもそも仕事なんだから、余計なことなんてないし、それを面倒くさいなんて、けしからんって声が聞こえてきそうですが、最後までお付き合いくださいね。

実はこの問題って、結構多くの人が頭を抱えているんじゃないでしょうか?世の中には時間通りきっちり、やりやすい仕事もあれば、そうでない仕事もあるんですよね。

「はぃ、今日はこの時間からこの時間まで、お疲れさん」なぁんて帰れるような仕事もあれば、予測不可能な仕事がいろいろ舞い込んで、本来自分がやるべき仕事が時間通りには終わらないっていうこと。

この解決法って結構難しい問題なんですよ。特にサービス業っていうのは、お客様あっての商売だから、自分が抱えている仕事なんてものは後回しにして、まずはお客様なんですよ。

これは、この仕事だから仕方がないって言えばそれまでなんですが、自分のペースで仕事が出来ないっていうストレスは結構頭の痛い問題なんです。

なので、今回は私と同じように、「次から次に仕事がどんどん入ってきて、終わらない」って嘆いている人が少しでも楽になれるようにと言う気持ちで、お話したいと思うんです。

お客様が多ければ多いほど振り回される(涙)

私が勤めている食品スーパーはね、地域でも評判の安売りのお店なんですよ。

すんごいお客様の数、週末なんて酔いそうになるほどのお祭り騒ぎ。荷さばきをするのも、人をかき分けて、かき分けてやっと売り場にたどり着くっていう状態なんです。

しかも、次から次へ、クレームだとか、問い合わせだとか、気が休まらない状態で、そんな時に思うのが・・・・・

次から次へと、も~~~う、まったく~~って気持ちなんです。

それが仕事なんだから仕方がないって言うのは、分かってはいるんですよ。分かっちゃいるけれど、このストレスは半端なく私を苦しめるんです。

なんで、こんな忙しい仕事を選んでしまったのか?と自分を恨む日々

仕事だから仕方がないって言うのはまったくその通り。でも、隣の芝生はよく見えるんです。さっきも閉店前の家の近所のスーパーに行ってきたんだけど、閉店前で、ガラ~~~ンとしてるわけ。

お客さんは私とほんの数人。レジにはだ~~れも並んでいない。誰も並んでいないレジにパートさんが二人で、世間話をしている。

私がいる店では考えられないんですよね。うちの店では、閉店前でもがんがんお客様がレジに並んで、閉店前の駆け込み買いのお客様であふれかえっているの。

他人の仕事が暇そうに見える(涙)

もちろん、他のスーパーで働いたことはないから分からないけれど、どうも納得いかないんですよね。

あと、近所に出来たちょっぴり高級志向のスーパーなんか、休日でも何だかゆったりとした空気があるのね。豆腐だとか焼きそばの麺だとか、うちの店の倍の価格なんだけど、その分お客様も少なくて優雅な感じ。

じゃあそっちに転職すれば?って言う声が聞こえてきそうだけど、40を超えるとね、なかなか動けないものなんですよ。明らかに転職に不利だからね。

暇すぎるのも忙しすぎるのも問題。

たま~~に、「俺のところ暇なんだよ」ってぼやく人に出会うんだけど、特に飲食やっている人に多いね。

そんな時は、「うわ~~代わってよ」って思っちゃうんです。でも、暇なのは暇なりの大変さもあるんでしょうね。

時間が長く感じるとか

暇な分、収入が少なくなって生活がピンチになるとか。

そう考えると、暇なのも忙しいのも、どっちも大変なんだけど、ちょうどいい感じの忙しさが欲しいんですよね。かなりハードルが高いってことは分かっていますけど。

それにしても、この次から次へのうんざり感は半端ない。

毎日の納品を捌いたり、売り場の管理だとか最低限ここまではやらなきゃ帰れないって言うのがあるんだけど、それ以外の仕事が次から次にきて手が回らなくなるんですよね。

まぁ、それで給料をもらっているっていう意味では仕方がないんですけど、この続くときは続くって言うか、クレームもそうだし、落し物の問い合わせだとか、自分がやるべ

き仕事が前に進まない無力感ね。

なぜ余計な仕事に思えるのか?

クレームと言えばコールセンターの人って大変そうに見えるけど、ああいう人はね、クレーム専門でやっているわけ。納得のもとでやっているんだね。

まぁ、あの仕事は大変だとは思うけれど、私たちって、クレーム専門じゃないから、「余計な仕事」に思えるんですよ。

巷でよく聞く「クレームはお客様からのラブレター」だとか、そんな優雅なことを言ってられないの。そりゃあ私だってしっかり時間をかけて、対応したいですよ。

でも、クレームでお客様の家を往復で1時間。その間にやるべき仕事が山積みになってて、だからと言って、人件費は限られているしで大パニックなんですよね。

一人で何役もこなすことで生じるストレス

つまり、どんなに大変そうな仕事でも分業化されていれば、それだけに集中できるから従業員のストレスは緩和出来るんです。

でも、町の小さなスーパーでは、一人で何役もこなさないといけないから、一つ一つの仕事に一日中集中するっていう感じじゃなく、「ハイ次、ハイ次」って感じで時間が流れるんですよ。

だから、自分の頭の中で、「午前中はこれをやって、この時間までにこれを終わらせて、それからあっちをやり始めて・・・・」って段取りを考えてるわけね。

でも、サービス業っていうのは時間が読みにくいんですよ。横からいろんな仕事は入ってくるわけ。

予測不可能なのは仕方がない

クレームだとか、問い合わせだとか、もうそれはひっきりなしで、続くときは続きまくって、自分がやりたい仕事は、な~~んにも前に進まないって状態。

予想不可能。それでお給料もらっているんだから仕方がないのは分かるんですよ。横から入ってくる仕事も余計な仕事ではないことも。余計だと思うのは私が未熟だからですよ。

で、今回は、そんな「次から次に余計な仕事ばっかり入ってきてうんざり」なぁんて悩みを持つ人の少しでも救いになるように私なりの考えをまとめたんです。

はぁ~~~、長い前ふりだった、ふぅ~~。

神様は人に耐えられない試練は与えないって話

よく、誰かが「私の人生ってどうしてこんなに不幸な出来事ばかりが続くの?」って嘆いた時に、よくかけられる言葉がこれですよね。

「神様は人に耐えられない試練は与えない」

って誰が言ったんでしょうね。いや、分かってはいるんですよ。自分の目の前の状況にうんざりしている人には、響かないことも多いってこと。

だって、それに耐えられずに、うつ病になって休職して、そのまま消えるように辞めちゃった同僚も何人か見ているんですよ。

それに、私の周囲ではまだないけれど、よくニュースとかでやっていますよね。忙しいのが限界に達した職場では時には命を落とすこともあるんだって。怖いですよね。

だから思うんですよね、「神様は人に耐えられない試練は与えない」は嘘じゃないかって。でも、だからと言ってこの言葉を否定するつもりはないんです。

人は言葉によって救われるってこともあるんでね。そういう意味では、この言葉ってお守り代わりにはなるんです。

「あ~~きっと耐えられるんだ」って言う気持ちで前向きになれるっていうね。それともう一つ似たような感じで、よくかけられる言葉があるんです。それは・・・

なるようになる

まぁ、これも誰が言ったんでしょうね。これも厳密には嘘だと思うんですよ。なるようにならないってこともあるわけで、でもなるようになることもあるから・・・

半分は本当で半分は嘘という何とも言えない立ち位置にいる言葉なんですよ。

でも、これも理屈抜きに「しまっていこうぜ~~」っていう野球のかけ声みたいなもので、まぁ前向きになれることがあるんですよね。

ただし、素直になれればの話だけど。なるようにならないこともある」ってかたくなに思うのではなく、流れに身を任せるってイメージね。

どんぶらこと流れる桃のようなイメージ。その川の流れがゆったりしたときもあれば激流の時もあるっていう、それでも流れるままに流れてそれでいいって言う話ね。

そんなことに腹を立てても仕方がないってこと。流れているんだから。

忙しい時もあれば落ち着いた時もあるさ

それと、今書いていて思ったんだけど、流れっていうのはゆったりしているときもあれば激流の時もあるっていう話ね。

つまり、これは人生はやったりした流れの時もあれば激流の時もあるってこと。ここで議題にあげているのは、次から次に舞い込んでくる仕事っていうのが激流なわけ。

次から次に仕事が舞い込んでくるって言う時って、なんなんだこれは?どうしてこんなに余計なことばかり続くんだって、むっか~~~ってしがちなんだけど、そういう激流もしばらくすると、落ち着くんですよね。

す~~~~っと何事もなく仕事が前に進む、気持ちの良い流れって言う時もあるもんなんです。

人生という長いスパンで見る

さいころの法則って名前だったかな?はっきりと覚えてないけど、さいころって振る回数が多ければ多いほど、同じ目が出る確率は6分の1に近づくっていうあれね。

まぁ、これも全ての職業に当てはめるのは難しいこともありますよ。忙しいさいころの目ばっかりの職場もあるだろうし。

でも、人生っていう長いスパンで見ると、激流もゆったりした流れも割とサイコロの目のように半々になるように思う時があるんですよ。

そう思えないのはあまりにも激流の時期が長いから。でも、その期間が長ければ長いほど、その分、ゆったりした流れも経験も出来るんですよ。

それが実感できるのは、仕事からふっと離れたときですね。まぁ、それすらないって言う人は転職も視野に入れてもいいと思うけど。

9回以上転職した私が思うには、たいていの場合は人生を長い目で見れば、ゆったりした時間は平等にあるんですよね。

言葉一つで人は楽になる。

そうは言っても、目の前に次から次に仕事が山積みになっている様にうんざりしますよね。こんなことを書いている私でも毎日がうんざりです。

なので、私はうんざりを乗り越えたマスターではないんですよ。現在進行形の論者ですから。だから、こういったことに特効薬がないことは痛いほど知っているんです。

でも、特効薬とは言えなくても、ほんの少しでも痛みが和らぐような薬になればと思っているんです。それが、この言葉なんです。

「神様は人に耐えられない試練は与えない」

「なるようになる」

「人生は激流の時もゆったりした流れの時も平等にある」

嘘コケ~デマこいてんじゃねぇて思われがちな言葉なんだけど、本当にそうなることもあるから、半分嘘で、半分は本当なわけ。

それよりも言葉の持つ力で救われた方がいいって話。とくに私は「なるようになる」って言う言葉がすきですね。シンプルでいいです。

昔からいろんな人が使っている言葉で、実勢もあるしね。それに、忙しい職場っていうのは何事もなくスムーズにいくことって少ないんですよね。

次から次にいろいろなことが起きて、それで当たり前

どっちかと言うと、何事かがあるのが普通っていう感じで。しかも山盛りで。
でも、それに腹を立てている時って、「何事もないのが普通」って思いたがっているときなんですよね。この考えを「何事かかあって普通」に変えるのは大変なんだけど。それを乗り越えて楽になれると思うんです。

乗り越えられていない時って言うのは、素直にそれが認められないから何で、ストレスでやられちゃうんですよね。

もちろん、世間がいうところのブラックな働き方はよくありませんが、サービス業は自分の都合で時間通りに進まないのは普通にあることなんです。

予想不可能。自分のペースが崩れる。そりゃあお客様が多いんだから、そうなって当然。あとはいかに「なるようになる」っていう心境に自分を持って行くかですよね。

そう言っている自分も、毎日がうんざりですけど。とっても大変ですけど、「なるようになる」で頑張っていきましょうね。

腹が立つ客に仕返ししたいけど、いい方法はないか?と悩む前に一歩離れて観察する。

「うわー、またあのお客様が来た」

食品スーパーに勤めています。サービス業をしていると必ずどこの店にも、従業員から要注意と思われているお客様がいるものです。

「うわー、またあの人が来た」

と口には出さないものの心の中で思う従業員の間に緊張感が走る瞬間です。この人の前では下手を打てないという気持ちが生まれます。

]「俺のパターンを覚えろ」

「俺のパターンを覚えろ」と言わんばかりの態度で従業員に接するお客様。特に新人には厳しく、少しでも自分が求めていることとずれていることをされると、大きな声で威嚇的にどなりつけられることがあります。

耐えることを要求される従業員

「あの人なんとか出来ないのかな?」

そう思いがちですが、お客様であることには変わりなく、理不尽だと思いつつも耐えることを要求されるのですが、それに耐えられない従業員の訴えを目の当たりにして考えさせられました。

店内で怒鳴るお客様

「お前は一言多いんだよ」
と常連の男性客の怒鳴り声が響きました。何事かと思い・・・というよりも「またあの人か?」と思い駆けつけました。

新人に厳しい常連のお客様

「お前は喧嘩を売ってるんか?」
と怒鳴られていたのは、研修が終わり一人でレジを任せて間もない新人パートさんでした。実はこの男性客はとても注意しなくてはいけない常連のお客様です。

特に新人にはあたりが厳しく、何かと大きな声で注意をしてくるのです。その言い方があまりにもきつく、はたから見ていてほぼ威嚇のように思います。

「遅い。もっと速くやれよ」と不慣れな新人の遅さを責めたり、「オイ!そんな入れ方するな!」とレジ担当がカゴに商品を入れる時に自分の気に入らない入れ方をされると怒りだしたり、うっかり惣菜に箸をつけ忘れたら、「オイ、いちいち言わないと駄目なのか?」と怒鳴るのです。

今回は、「もっと速くやれ」と言われたパートさんが、「申し訳ございません。まだ新人なので」と言ったことで、怒りに火をつけました。

まともに次のお客様を相手出来なくなるほど精神的に追い込まれる

「余計な一言を言うな。金を貰ってるんだろ?お前はボランティアか?」

ガガガガ・・・とまくしたてるように怒鳴るお客様に私も「申し訳ございません」と何度も頭を下げてようやく・・・「俺を誰だと思ってるんだよ?どれだけこの店に金を落としてると思ってるんだよ?」と言いながら帰られたのです。

その後、パートさんを見ると今にも泣きそうな顔をしていました。

しかし、混雑時でレジを止める訳にもいかずに「後ろに下がっていて下さい」と言い、私がレジを代わることにしました。

出入り禁止に出来ませんか?

その後、パートさんが仕事から上がる時、ベテランのパートさんが今回の新人パートさんと一緒に店長に相談をしていました。

ベテランのパートさんが新人パートさんの相談にのる形で、一緒に店長に相談しようと言うことになったようです。

ベテランパートさん 「出入り禁止に出来ませんか?」

店長 「出入り禁止にするのは余程のことがないと難しいですよ」

ちなみに以前店長は、そのお客様にやんわりと注意をしています。

「出入り禁止に出来ないならもっときつく注意して下さい」

しかし、改善がされてないのです。相変わらず、新人が入るたびに「オイ。もっと商品を大事に扱えよ」と大きな声で責められます。

ベテランパートさん 「今回だけじゃないでしょ?私も今回だけなら何も言わないけど、みんな被害を受けてるんですよ。出入り禁止にしないのなら、もっときつく言ってもらわないと困ります」

「警察を呼んでもいいですか?」

そんな会話の中、ベテランパートさんの後ろにいてた新人パートさんが・・・
「次にあの人が来たら、録音して警察を呼んでいいですか?」

店長 「それはしないで下さい。個人で商売をやってるんじゃないんですよ。そんなことをしたら大変なことになりますよ。『お前の所はそんなことをするのか』ということで個人の問題だけでは済まなくなるんですよ」

パートさん二人 「とにかくしっかりと店長から注意して下さい。でないとこの先新人が来たらずっと同じことの繰り返しですよ」

パートさんの勢いに押され、「分かりました」と店長は言いました。その後、私は店長と二人きりになり、店長ならではの悩みをぶつけられました。

「うーーーん、どうしよう?どうやって話しをつけようかな?」と。

下手に注意をすると逆にこっちが不利になる場合が考えられる

本来であればお客様が大きな声で怒鳴っている時に注意をするのが一番なのですが、そうでなく聞いた話によって話しをすることになるので注意しにくいようです。

しかも、気難しいお客様で少しでも隙を見せると、そこをついてきます。しかし、あそこまでパートさんに言われて動かない訳にはいかない店長は「うーーん。どの言い方が一番角が立たずに済むかな?」と悩んでいました。

やっかいなお客様はどこにでも存在する。

パートさんの言葉に不満を持つ店長はこんなことも言っていました。
「暴言が嫌なら接客業に来なけりゃいいのに・・・」と。

この店長の言葉は、私も耳が痛いです。私は暴言は嫌いですが、接客業を選びましたから。この仕事を選ぶ前は、接客業はたくさんの「ありがとう」でつつまれているハッピーな世界だと思ってましたから。

しかし、現実はそうではなく、むしろ、やっかいなお客様ばかりが目立ち、どうして私は接客業を選んだんだろう?と思ったほどです。

なので、店長の「暴言が嫌なら出来るだけ人との関わりが少ない仕事を選ぶべきだ」ということには、ちょっと違うように思いました。

ただ、接客業を選んだ時点である程度の覚悟は必要だとは思いますけどね。

結局出入り禁止にするには材料が足りなすぎるの判断

店長 「大体、あのお客様は厄介だと教わってるんだから、そんな人に隙を見せたこっちも悪いと思うんだよ。大体、『新人だから大目に見てください』と言う言葉も優しいお客様は何も言わないけれど、そうじゃない人には言い訳にしか聞こえないもんなんだよな」

店長の隙を見せたこっちも悪いと言う言葉に、「確かにそうだな」と思った私です。あきらかに新人に対して、「俺は常連だから俺のパターンを覚えておけ」と言わんばかりの態度は理不尽に感じるのですが、出入り禁止にするのは難しいと思います。

それに、新人への暴言とはいっても、まったくこっちに非がないことを言っている訳ではないのです。

「早くしろ」

「もっと商品を大事にあつかえ」

これらの言葉は大きな声で威嚇的に言うから暴言に聞こえます。さらに新人への責めも、一時的なもので、その人のパターンを覚えてしまえば何も言われなくなるのです。
訴えても法的に認められるか?

どこの店にも必ずと言っていいほど難しい対応を求められるお客様はいます。威嚇的な言葉責めをされてもお客様はお客様です。

正直に言って、お客様の中には、店員をあきらかに下に見ている態度をとる人もいるので虚しい気持ちにもなることがあります。

しかし、例えば暴力をふるわれたり、「殺すぞ」と脅迫されたりした場合なら警察に動いてもらえるのですが、今回のケースの場合は逆に訴えられた時に・・・

本当に店側の主張が法的に認められるのか?という難しさがあるのです。

つまり、理不尽だけど法的になんとかするのは難しいのです。

残念なことに、ちょっとしたことで大声で責めるお客様はどこでも見かける。

理不尽に怒鳴られると「悔しい!ギャフンと言わせたい」と思いがちですが、このようなケースでは結局は店の責任者である店長の判断になります。

あまりにも度が過ぎていて、店側の注意を受け入れなければ出入り禁止にしますし、それほどでもないと判断すれば従業員に我慢を求めます。ここで考えたいのは・・・

どこの店にも従業員に厳しい態度のお客様はいるということです。

地域性もあるでしょうが、不特定多数のお客様が来店される食品スーパーでは、ちょっとしたことで大きな声を出し責めるお客様はいるものです。

決して歓迎はされない存在ですが、存在するというのが現実でしょう。人と接する仕事をしたいと言うことで接客業に就き、厳しいお客様が存在するという現実に悔しい気持ちになるのは皆同じです。

お客様の態度は一過性のもの

しかし、店長が言った「暴言が嫌なら接客業に来なけりゃいいのに」という考えには疑問が残ります。なぜなら、店全体で取り組む問題だからです。

どこの店にも存在する新人に厳しく当たるお客様は台風のように一過性のものです。

従業員全員で新人をフォローすることが大事です。ベテランが横につく、慣れるまで他のレジに回ってもらうなど全員で取り組む問題でしょう。

それでも、防ぎようがない場合が出てきても、お客様の新人に対する厳しい態度は一過性のものです。台風が直撃したようなものです。

なので全員で取り組みつつ、直撃の恐れがある新人にも気持ちを強くもってもらうのです。

一人でなく全員で取り組む問題

そして今回、パートさんの「客の暴言を録音して警察に訴えてもいいですか?」という訴えを上司が却下した理由は・・・

接客業につきものの要注意のお客様の域を超えていない場合は店側の主張が法的に守られるのかどうか難しく、個人で取り組む問題ではなく全員で取り組む問題だからです。

人間である以上は腹が立つ気持ちはそう簡単に抑えられない。

長年接客業をしていますが、人間である以上、どうしても相手に対して腹が立つという感情を捨てることは出来ませんでした。

「それで、お金をもらっているんだから、プロとして、仕事として割り切るべきだ」と自分に言い聞かせ、毎日が我慢の連続です。

なので、今回の「警察を呼んで訴えたい」と言ったパートさんの復讐心が痛いほどよくわかります。

「仕返ししたい」「悪いのはあなただと逆に反省させてやりたい」と言う気持ちが生まれますが、その気持ちを仕事だからと言う理由でおさえつけて、どうしていいのか分からなくなります。

「あっ、またか」の余裕を身に付けるには?

接客業には自分が想像しているよりも、はるかに斜め上を行く腹ただしいことが起きることがあります。言いかえると想像出来ないレベルだから腹が立つのでしょう。

そうして山のように、腹ただしいことを経験して、やっと、「まっまたか!」の余裕を身に付けるのです。

理不尽なお客様が来られても、それは日常的なこととしてとらえることが出来るようになります。これは慣れと言うものです。

慣れるのが一番

「慣れるのが一番」とはよく聞く言葉ですが、一見無責任な言葉ですが、長年やっていると、どんどん後輩もできてきて、その後輩たちも、自分と同じように悩む道を歩いていることに気付きます。

理不尽なお客様に腹を立て、そんなお客様は山ほどいるのに、一人一人にぶつかって生き、後先を考えず、「この恨み晴らさずにおけるか」とたとえ相手と刺し違えても自分の気持ちをすっきりさせたい気持ちでいる後輩たち。

自分が怒っているときは、目の前のことしか見えないのですが、他人が怒っているときは意外と状況がみえるものです。

仕返ししてもなんのメリットもない。

その仕返しはとてもハードルが高い。

仕返しが実現しても後でやっかいなことになる。

山ほど腹ただしいことを経験してきたからこそ、見えるものでしょう。しかし、慣れる前に心が壊れそうになる時がありますよね。

そんな時は一歩引いて観察する。

仕返ししても、やっかいなお客様は多すぎる。

仕返しをしても、法的に守られるのかの判断は難しい

仕返しをしても一人で戦う問題ではない。

下手に仕返しをしてもこちらが不利になる

もちろん、どう考えても警察を呼ぶべきだという判断が必要な場合もあるでしょうが、その一歩手前の理不尽なお客様は意外と多いものです。

毎日が勉強です。

「仕事として割り切れ」と言われても、割り切れない辛さがありますよね。でも、一歩引いて観察すると「仕返ししたい」「逆に謝らせたい」という気持ちが無駄に疲れるだけだと気づけます。

今回の記事は、「そんなのは接客業だったら当たり前だよ」と思われる人には響かないでしょう。

もうすでに、接客業につきものの理不尽なお客様に対する心の余裕がある人です。とちなみに私はまだまだその域には達していません。

毎日が勉強です。こんな角度から攻めてくるのか?と驚きの連続です。腹が立つからと一人一人にぶつかっていっても、本当に大変です。身がもちません。

一歩引いてみると余裕が出る。

「俺は客だ」と言わんばかりの客を遠ざけるのは現実的に不可能です。そんな時に欲しいのが心の余裕です。一歩引いてそういうお客様を観察するという余裕です。

腹が立つお客様は必ずいます。 そういうお客様に対し、いちいち腹を立ててたら接客業はつとまりません。

いろいろと対処法を紹介しましたが怒りの感情を抑えるのは難しいですが、普段の心構え一つで慣れてきます。

慣れてくれば、何とも思わなくなるでしょう。 「あ、またか」みたいな感じで、うまく対処できるようになります。

「怒っている人」を観察する気持ちに切り替えると楽になる

人と接する上では、腹が立つこともあり、仕返ししたい気持ちで一杯になることもあるでしょう。

そんな時は、みんなが通る道であり、その道を一歩引いて観察すると、若干は楽になれると思います。

仕事なので、我慢も大事ですし、それが自分を大事にすることにつながると思います。まだまだ私も腹を立てることがたびたびですが、一緒に頑張りましょうね。

 

あやしい催眠商法 だましの全手口  身近な人を守るために知っておくべきこと

あやしい催眠商法 だましの全手口 身近な人を守るために知っておくべきこと

 

 

 

「あやしい催眠商法だましの全手口身近な人を守るために知っておくべきこと」
単行本: 230ページ
出版社: 自由国民社 (2018/11/2) 
筆者 ロバート・熊
イラストレーター にゃんとまた旅/ねこまき
身近な人を守るために知っておきたい催眠商法の現場を元社員が詳細に明かした本です。
★本書の特徴
1.いかにしてお年寄りのこころを奪うか、元社員が明かします。   
2.ネット上にある催眠商法の説明はごく簡素なものですが、事実はかなり込み入った内容です。本書では複雑で巧妙な手口をあますことなく紹介いたします。
3.まず近づかないことが一番ですが、もし被害にあってしまった場合の有効な対策も分かります。

大型書店の法律書の棚に並べられていることが多いです。
お近くの書店に置いてない時は、本のタイトルをお控えになり、お取り寄せでお願いします。

セクハラが許される男と、許されない男の境界線を探るのは夢のまた夢で終わる

「お前、老けたな~」

テレビのバラエティー番組で活躍のオアシスの大久保佳代子さん。この方は昔、コールセンターで勤めていたそうです。

女性ばかりの職場に男性の上司が一人。おしゃれで、話し上手で、爽やかなイケメン上司。その男性にひそかに憧れていたという大久保さん。

昔の職場の仲間と久しぶりの同窓会を番組でやってもらい。最後はお決まりの「そういえば佳代子って、あの人のことが気になってたんだよね」っていう風なくだりで、その上司が登場するっていう、いかにもなパターン。

昔の爽やかさが健在の元上司の姿にスタジオからも「おぉ~~」の声が上がり、そして、焦る大久保さん。イケメン爽やか元上司は大久保さんに近づき一言・・・・

「お前、老けたな~」と言いました。

許されるキャラは何かを持っている。

大久保さんは、「久しぶりの再会で何を言い出すんだよ」と言わんばかりの表情を見せましたが、「もぅ、この距離なのよ~」と元上司の自然に相手の懐深くに入っていく様を笑いに変えていました。

私の記憶に頼った番組の内容なので、若干登場人物の言葉は違うと思いますが、イケメンで爽やかな元上司のいわゆる「許されるキャラ」というものは、とっても印象に残っています。

そうそう、こういう人っているよな~と妙に感心しました。男女問わずこういう、普通に考えたら失礼な言葉でも、なぜだか許されるような空気にしてしまう。その人が持つ何かが気になってしまいました。

許されるキャラへの嫉妬

とくに、私には、そういう「許されるキャラ」と言うものがないがために、そういう人種を見ると嫉妬をしてしまいます。

そして、女性に対して同じようにきわどい言葉を投げかけても、許される男性とそうでない男性がいるのも気になるところです。

転職回数9回以上ある私は、様々な「許されている男性」を見てきました。同じ男性として、「それってアウトじゃねぇの?」と思える会話でもその人の持つ雰囲気だとか、打ち解けている両者との関係などが、「も~~う、悪い人(笑)」で済まされているケース。

そんな場面を数多く見てきて思うことが、この差は一体何なんだ?と言うことです。
戦略的に許されるキャラになれるのか?

捉え方によってはセクハラになるのではないかと思われる発言をしても、「もう、悪い人(笑い)」となることもあれば、「キモイ(怒)」となることもある。

どっちが、人間関係に有利なのか?そう思うと「この人はこういう人なんだから」で片付けられる前者の方が有利に見えて仕方がありません。

そこで生まれるのが、「これは戦略として使えないか?」「と言うよりも戦略としてこのようなキャラを自分に付けることは出来ないか?」という想いです。

しかし、それにはとんでもない落とし穴があると気づかされた出来事があります。

女性は我慢していることを知るべきだと感じた出来事

男性が女性に対し性的な嫌がらせをする時、男性は冗談のつもり、相手と楽しくコミュニケーションをとっているつもりでも、女性にとって、とても辛い我慢をさせていることがあります。

「これぐらいなら大丈夫だろう」

「ほんの少しだから」

「冗談で済まされているから大丈夫なんだ」

と思いがちですが、冗談で済まされているのではなく、女性が我慢をしていることを知るべきだと感じた出来事です。

そしてセクハラは解雇という大きな制裁が待っいてることを今更ながら、感じた出来事です。

食品スーパーに。長年勤めていると信じられないような出来事に出くわします。

「セクハラ社員を出せ!」と旦那さんは怒鳴りこんできました。

他店から移動してきた社員は移動前の店でセクハラの注意を受けたことのあるA君でした。話によるとアルバイト女性に「寒いから手を温めてあげる」と言い手をぎゅっと握ったそうです。

そこの店長にアルバイト女性は相談し、A君は、うちの店舗に異動になりました。勤務態度はまじめで、良く動き、頼りになる男でした。

しかし、ある日40代前半のパートさんの旦那さんが店に怒鳴りこんできました。「○○ってやつにうちの嫁がセクハラされている」「○○をだせ」と。そして私と、A君と旦那さんの3人で話をすることになりました。

A君はパートさんにどんなセクハラをしてたのか?

耳に息を吹きかけた。

着替えて帰ろうとしてた時に、背中が開いている服を着ていて、その背中を「温めてあげる」と言って触った。

肩や腰を触ってきた。

何でそんな事をしたのか聞きました。

彼は「冗談のつもりでした」と小さな声で答えました。パートさんはとても明るい性格で、おそらく彼は冗談を受け入れてもらえていると勘違いしたのでしょう。

A君に肩や背中を触られた時、パートさんは「止めてください」と言って逃げたのですが、大声をだしたり、誰かに助けを求めることはしなかったそうです。

そして他の社員に相談しようと思ったそうですが、目撃者のいない状態でこんなことを言っていいのか悩んだそうです。どうしていいか分からず、ついに旦那さんに相談したそうです。

「冗談のつもりでした」のA君の返事に旦那さんはさらに怒りました。

「冗談でしてもいいことか?もし逆の立場で自分の嫁さんがそんなことをされたと知っ

たらお前はどうするつもりだ?」A君は黙りこみました。

A君は解雇されました。

異動前の店舗で問題を起こし、注意されていた彼。2回目で、しかも言い逃れの出来ない状態で解雇になりました。

この件の後、知ったのですがA君は別のパートさんの肩もポンポンと叩いたり、「あっごめんごめん」と言いながら脇腹をつついたりしていたそうです。パートさん達はこれぐらいで怒っていいのだろうか?と悩んだそうです。

A君は恐らく冗談で済まされているから大丈夫と思ったのでしょう。冗談で済まされているのではなく、女性が我慢をしていることをA君は知るべきでした。そしてセクハラは解雇という大きな制裁が待ってることも知るべきだったと思います。
セクハラなのか冗談なのか?

A君と同じようなことをしてもセクハラではなく冗談で済まされる。そんな場面も今まで沢山見てきました。例をあげますね。

飲み会で、男性従業員が女性従業員の肩に手を回したり、腰に手を回したりする姿を見たことがありますが、女性従業員は普通に接していました。

別の会社で社員旅行(海外)で女性従業員がそばにいるのにかかわらずに性的な話で盛り上がる男性従業員を見たことがありますが、女性従業員は聞いていないふりをしていました。

どこまで許されるか攻めすぎたA君。

しかし、冗談で済まされているのではなく、女性が我慢しているからセクハラとしての制裁がないのです。

これぐらいは冗談で済まされているから大丈夫と思うことは今回のA君のような大きな制裁が待ってることを認識することが大事でしょう。

今回のケースで私が注目したのはA君の「冗談のつもりでした」と言う言葉です。彼はどこまで許されるのか?と言うことを攻めすぎたように思います。

許される境界線を探る行為は危険な行為である。

男女問わず、馴れ馴れしいような印象を私は彼に持っていました。そんな彼からは、セクハラと思われることでも、自分の立ち位置がどこまで許されるかを探っていたように見えるのです。

これはとても、危険な行為だと思います。確かに様々な、きわどい行為をする男性の姿を見てきて、「もう悪い人ね(笑)」と笑いで済まされているようなケースと、セクハラ一発退場処分を受けている男性をたくさん見てきました。

私にはそんな許されるキャラはなく、一発退場させられる自信?があるので、触らぬ神にたたりなしできわどいことは封印しています。危険な行為ですからね。

許される境界線に正解はあるのか?

正直な気持ちを言うと、「許される人」というものに嫉妬を感じることがあります。そんな時は、何とかして「許される人になれないものか?」と探りたくなる気持ちが生まれます。

自分の立ち位置を変えて、戦略的に女性のパーソナルスペースにすっ~~と入っていくことは可能なのか?と言うことです。

「キモイ」と思われるゾーンから「面白い人」と思われるゾーンに入っていく方法。それに正解はあるのか?と思ってしまいます。

しかし、これは夢のまた夢で終わると思うのです。

一見、「許されている」と見えることは、疑った方がいいのではないかと言うことです。「許されている」と言うことは本当の意味で許されているのでしょうか?

例えば、最初に紹介した、大久保さんの上司の言葉、「お前、ずいぶん老けたな~」は普通に考えたら失礼なことですよね。

ちなみに、私は思っても、一回も言ったことはありません(笑)。テレビのバラエティーという場や、大久保さんがお笑いのお仕事をしているという特殊なケースが、笑いになっているのだと思うのです。

キャラ作りは昨日今日では出来ない

さらに、テレビで拝見した元上司のキャラは、同じ男性としてみても、「あっなるほど、これは許されそうだ」と思えるような雰囲気を醸し出していました。

こういうキャラは昨日今日では作れないでしょう。長年の染みついてきた自身のキャラが「この人はこうだから」という気持ちで片付けられるのです。

もちろん、これはテレビの番組なので、多少は面白おかしく大げさにやっているのかもしれません。しかし、現実にこういう人っているよな~とも思います。

普段から周囲に「そういう人だもんね」と思われる言動で、失礼なことでもケロッと言ってしまい、相手もそれを受け入れるということ。

あまりにもケロッとした顔で言ってのけるので、相手の女性もセクハラの概念を考える間もなく日常的なことと錯覚してしまうんです。

自分の立ち位置の自己評価は低めが良い

しかも、こういった「憎めないキャラ」は爽やかで清潔感のあるイケメンだけに限らず、見た目以上にその人が醸し出す雰囲気からくるものが多く、こういうのを見ると・・・

「あっ俺もマネできるんじゃないか?」と思ってしまいがちです。そう言った人は、表面上しか見ていないから、自分もいけると自分で自分を勘違いしてしまいます。

どこから、そんな自信が生まれるんでしょうね。こういったことに関しては自己評価は低めがいいでしょう。

その場では許されているように見えているだけであることもあるんです。テレビなんかでも、毒舌キャラって言うのがいますけど、私たちがそのキャラを見るのは編集後の映像です。

これは大きな落とし穴でしょう。数多くのセクハラ退場事件を近くで見てきて思うのは、セクハラが許されるキャラなんて存在しないと思った方が賢明です。

もっと言うならば、自分もやり方次第では、憎めないキャラになれるという自信は幻想だと思った方が賢明でしょう。

まとめ

まとめると、セクハラが許される人と許されない人との境界線を探るというのは危険な行為だと認識したほうが賢明です。

今回のA君のように、勘違いがどんどん進行するでしょう。セクハラは一発退場もあれば、2発目退場や3発目退場もあります。

勘違いの進行度合いが高ければ高いほど、許されるキャラではなく、許されない迷惑なキャラになるのです。