ありがとう熊さん

食品スーパーのおやじが、生き方について辛いことも楽しいことも含めて、心を込めて書かせてもらいました。

ことあるごとに「神様はあなたを試しています」と言い訳する宗教に愛想が尽きました。

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宗教ブーム

オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きる何年か前の話、新興宗教ブームが巻き起こり、本屋へ行くとその手の本が多く並んでいました。

その頃、私は人生をかけるような何か燃えるものはないか?と模索しながらそれらの本をかき集めました。ちなみにその本の多くは絶版となり、プレミアムがついているので、現在捨ててしまったことを後悔しています。

オウム真理教麻原彰晃氏が書いた本も本屋に多く並んでいて、空中浮揚している様子が表紙になっているのを見て興味がわいたのですが、それ以上に興味をそそられた宗教があったのでそちらに行きました。今思えば、オウムに行かなくてよかったと心から思います。

神様が起こす奇跡の数々で多くの信者を獲得した宗教です

その宗教では神様に祈りを捧げることで、病気が治ったり、仕事が上手く行ったり、家庭問題が解決したり、様々な信者たちが幸せになっていました。

宗教による心の高揚感は今でも忘れられません

信じれば信じるほど、奇跡がおきるのに驚きました。五感が研ぎ澄まされるのでしょう。町を歩いていても、なぜか「あれ?あの人は私と同じ信者だ」と見ず知らずの人を信者だと言い当てることが出来ました。今思えば、たまたまだったのかも知れませんが。

祈りを捧げれば捧げるほど、体に熱いものがこみ上げてくるのです。体中に喜びが溢れてくるのを感じました。これは素晴らしい。私がこの世に生をうけたのは、この宗教を広めることだと思いました。

様々な集まりに参加することが生きがいになりました。

その中でも、その宗教本部での集まりは特別のものでした。信じ切っていた私は本部につくと感動と喜びで、心がいっぱいになりました。その中でも若者だけが集まる会がありました。どの若者も本部での研修に表情がきらきらとしていました。

本部では、幹部の方からありがたいお話を聞き、この世界最高の教えを世界中に広めるため、一致団結して、軍隊のような集団行動をしました。そこで出された昼ごはんがカレーでした。

広場で大きな釜で作られたカレーライス。

幹部の方々が作ってくださいました。それを食べる私たち。味なんて覚えていません。その後の出来事が衝撃的すぎたからです。私は若くて良く食べる方でしたが、おかわりは遠慮をしました。

食べたいのに食べれない貧しい子供たちが世界にいる中で、カレーが食べられるだけで幸せで、おかわりなんてする気になりませんでした。

しかし、幹部の方は必死に「おかわりしろ」と勧めてきました。だから、ありがたくおかわりしました。

みんなお腹いっぱいに食べて満足したのですが、さらにおかわりを勧めてくる幹部たち。誰もおかわりをしなくなったときに私たちは集合させられました。

食べたいものを食べられない人が世界に多くいるのに・・・

幹部の方の説教が始まりました。「カレーが多く残っている。この状況をあなた達はどう思うのですか?作ってくれた人の気持ちを考えて下さい。食べ物への感謝の気持ちがないからこんなことになるのです」

「せっかく神様が導いてくれたのに、このカレーを残すことは神様に失礼なことです。このことは神様は全て見ています。食べたいものが食べれない人が世界に多くいることを知ってください」

「神様は、この地上に天国を作ろうとしています。そのため、この地上天国に残す人とそうでない人を試しているんです」

と言った内容の説教でした。

申し訳ない気持ちでいっぱいになる私たち若者。

後になって考えたら、「それってお前たち幹部が作り過ぎただけじゃないの?」と思ったのですが、この時は、真剣に申し訳ない気持ちで自分たちが犯した罪に懺悔をしました。

幹部の話を真剣に聞く私たち。

しかし、後でひそひそと話しする若者がいました。「あれっておかしくないか?」その言葉が耳に入った時、なんてことを言うんだろう。幹部は神様に選ばれた方なのに。と思いながらも、なんか心にひっかかるものがありました。

その説教した幹部は教団では、かなり上の位の方でした。

神様に近い人です。後で考えたら、カレーが残った。これは困る。じゃあここに集まった若者のせいにしてしまえという保身のようなものを感じました。

そう思うと一気に幹部の方への尊敬が音を立てて崩れていきました。

そして、事あるごとに「神様はあなたを試しています」と良い出来事も悪い出来事も、神様からのお導きによるという、すべてがこの理屈で出来ていることにも疑問を持つようになりました。

心にひっかかるものを無視してはいけない

この出来事から、あれこれと理屈で教団の教義を考えるようになり、教団から足が遠のきました。

 

それまでは何かおかしいことがあっても信じたいと言う気持ちで思考停止にしていました。

しかし、真実を見つめることは大事なのです。心にひっかかるものは自分の頭で考えるべきだと気付く出来事でした。