本当に神様がいるのなら、なぜこの世は残酷なのか?
とにかく教団に来てくれたら・・・
20代の頃、ある宗教団体を信じて、一生懸命布教活動をしていました。一人でも多くの人に神様の存在を知ってもらいたいと言う純粋な気持ちでの活動でした。
神様は存在するという私の言葉を信じない友人
しかし、布教活動はとても難しかったです。3年以上の宗教活動で入信してもらえた数は0人でした。特に思い出に残っているのは親しい友人への口論じみた勧誘です。
神様は人知ではうかがい知れない存在であるという私の勧誘に理屈で返してきた彼との会話が今思い起こすと、とても考えさせられました。
俺を入信させたかったら・・・
私は神様を信じてもらうためには、教団に直接来てもらうのが一番だと思っていました。何故なら直接神様の気というものを感じられる場所だからです。しかし彼は・・・
「神様に力があるのなら、その力で今すぐ俺の信じない気持ちを変えてくれよ」と言いました。
一見、もっともな意見ですが、私はしっかり教団の教義を勉強していたのでこう答えました。
「神様は人間に自主性を与えているんだよ。つまり、信じるかどうかは、人間に任せているんだよ」私の言葉に彼は・・・
「それっておかしくない?神様を信じた方が幸せになれるんだろ?そしたら神様の力で信じるようにするのが神様の親切と言うものじゃないかな?そしたら、そんなに熊君が必死に勧誘なんてしなくても済むのに」と言いました。
人間に与えられた自主性を否定する彼の言葉を聞いて、心の中にイライラした気持ちが生まれました。
しかし、口で説明するよりも、神様の存在を肌で感じることが出来るから教団に来てほしいと言いました。彼は興味本位で、「それの写真ってあるの?」と言ってきたので、待ってましたとばかりに私は・・・
教団本部の豪華で神々しい建物の写真をドヤ顔で見せました。
すると彼は、「すごい金かかってるなー」と感心し、そして・・・
「神様に力があるんなら俺に今すぐ100万円くれよ。そしたら信じるから」と言いました。
とんでもない要求だと思いました。私たちは神様の存在を多くの人に知ってもらいたいためにお布施をしているのです。つまり、お布施は信者から神様への気持ちであって神様からお布施をするというのはおかしな理屈なのです。
しかし彼は、「それって逆じゃないの?」と言いました。
「神様は人間である私たちが好きなんじゃないの?可愛いんじゃないの?それだったら信じてくれる人にご褒美をくれるのが本当の神様じゃないかな?」
「どうして神様ともあろうお方がお金を欲しがるの?神様なんだからお金ぐらい簡単に作れるだろ?神様なんだから、人間が作った紙切れなんて欲しがらないだろ?」
「全知全能の神様なら人間がわざわざ建物を作らなくても、自分で作れるだろ?」
彼には私がいくら説明しても、お布施という神様に対する信者の感謝の行為を理解する事が出来ませんでした。確かに神様なんだからお金を作ることぐらいはたやすいと思うのですが、信仰心によるお布施の意味を理解出来ない彼との会話は平行線になりました。
人の不幸を見て見ぬふりをする神様を何で信じるの?
さらに彼は疑問をぶつけてきました。
「神様は何で人間に戦争という残酷なことをさせるの?やめさせられないの?」
「何の罪もない多くの人を苦しめて、戦争だけでなく、世界中で飢え死にする人も多くいてるし、本当に神様が存在するならこんなことにはなってないと思うんだけどな」
しかし、これは因果応報というもので説明出来ます。
過去の出来事が現在や未来に影響をあたえるという因果応報の理屈です。これを説明すると・・・
「でも、それって神様がそんな残酷な因果応報のシステムを作ってるんだろ?そんなことして心が痛まないのかな?」
因果応報というものはとても複雑で人知では理解できないものです。それでも彼は残酷であるから逆に神様の存在を否定出来ると言いました。そんな彼に、どうしたら神様の偉大さを理解してもらえることが出来るのか途方にくれました。
神様は人知を超えた存在なのに・・・
それでも、私には自信がありました。教団に行けばこの世界を作った神様の存在を肌で感じることが出来るのです。その神様はこの世を想像した神様です。このことを説明すると彼は・・・
「じゃあ、その神様を産んだのはだれ?」
何を言ってるのかと思いました。私たちが信じているのは、この世界の全てを想像したこれ以上ない存在の神様なのです。
つまり、この世が神様を想像したのではなく、神様がこの世を想像したのです。彼の言葉はその教えを理解していない言葉なのです。
まるで、宇宙の果てには何がある的な人知では理解出来ないような議論になりそうで、気分が悪くなったものです。
じゃあ、結局自由じゃないの?
この世の全てを創造した神様のことを彼に肌で感じ取ってもらいたいと必死で説得しましたが、逆に・・・
「この世を作ったのなら、神様を信じない俺も創造されてるんだろ?」
言われてみれば確かにそうかも知れないと思いましたが、逆に、私は、さらに神様に対する自分の気持ちを強固なものにしました。
今、思い起こして感じるのは、理屈よりも肌でその存在を感じている私に彼のもっともらしい理屈が逆に宗教心に大きく火を付けたのです。
「説得出来なかったのは私がまだ未熟だから」と思いました。しかし、彼の理屈は私の頭の中から離れることなく、少しずつボディーブローの様に私の宗教熱を冷ましてくれたのでした。