ありがとう熊さん

食品スーパーのおやじが、生き方について辛いことも楽しいことも含めて、心を込めて書かせてもらいました。

「〇〇してはいけない」は大人の勝手な価値観の押しつけという説について思うこと

情報発信者でたまに「私は別に良いこと書こうと思って書いているわけでもないし、自分の考えを広めたいわけでもない」と発信している人がいるが、そんな人はそもそも発信などしないわけで批判をお手軽にかわすための嘘であろう。

 

そのような人の発信で興味深いものを見つけた。

「~~してはいけない」と言うのは子供に大人の勝手な価値観を押し付ける行為だと発信して称賛を浴びている先生だ。

おそらく彼は子供時代に素晴らしい先生に出逢わなかったのだろう。

ここで問題なのは全ての「~~してはいけない」を大人の勝手な価値観の押しつけと決めつけていることである。

全ての「~~してはいけない」と言う行為が勝手な価値観を押し付ける行為だと断定してはいけない。その教えは社会的に損をしないための大切なことであることもあるからだ。

大人の勝手な価値観の押し付けかどうかは、状況やものによって判断されるものだ。例えば極端な例だが「麻薬に手を出してはいけない」を勝手な価値観の押し付けだという人は少ないだろう。

こういったたぐいの先生の「正論をふりかざして叱るのは相手をコントロールしたいだけ」という主張は一見なるほどなと思わすものだが、それはルール違反を黙認する主張になる恐れがある。

僕は、子供時代に学校の先生に「~~してはいけない」と教えられたことで感謝していることが少なからずある。

例えば、子供時代に口をずっとポカ~~んと開けている癖があったのだが、ある先生から「熊君、そのくせをやめなさい。口を閉じて見なさい。ほら、そのほうが賢く見えるよ」と言われて、それから意識的にそのくそを治すように努めた。これにはとっても感謝している。

世の中には、好きなことして生きていくという教えが流行っているが犯罪者に免罪符を与えないか?の答えに先生はこう答えている。

「ではホームセンターに包丁が売ってるのはどうする?」のとんちんかんな答えだ。

問題なのは凶器が目の前にあることではなく、それを使う人間の考えを危険な方向に導くことに問題がある。

つまり、大人の勝手な価値観の押しつけかどうかは個別に判断されるものであり、なんでもかんでも「大人の勝手な価値観の押しつけ」と決めつけてはいけないのだ。