ありがとう熊さん

食品スーパーのおやじが、生き方について辛いことも楽しいことも含めて、心を込めて書かせてもらいました。

何もしなくてもお金は入ってくる存在給を信用するのは危険です。

心配しなくても、お金が無くなることはありません。

それでもお金がなくなるのは、お金はなくなると思い込んでいるからです。

水がなくなることはありますか?

空気は吸ったらなくなるのですか?

なくならないですよね。

なのにお金はなくなると信じている。

可笑しいですよね?

とお金に悩む相談者にアドバイスをする人がいる。

そういった一部のカウンセラーの中には「あなたがお金を受け取れないのは、心の問題です」といってある教えを信じ込ませようとすることがある。

それは「存在給」という考え方だ。

「存在給」とは今、一部の女性起業家たちが「お金に対する新しい考え方」だと言って流行らせようとしている考え方だ。

彼女たちによると、存在給とは働かなくても、何もしなくても、何の役に立たなくても、何の価値も提供しなくても、あなたが存在するだけで受け取れるお金だ。

働かなくていい。

何か価値あるものを提供しなくていい。

ただ、生きているだけで受け取れるお金。

不労所得のように過去に作り上げた価値がなくても現在の自分で十分に受け取れるお金。

彼女たちが教える存在給の受け取り方は単純で簡単だ。

ただ「受け取れる」と認めるだけだ。

しかし、この考え方は危険だ。

認めるということは疑ってはいけないということ。

存在給を信じても受け取れない人が文句を言うと

信じる力が足りないということで存在給という考えが間違っているのではなく、受け取ろうとする僕たちの心に問題があることにされる。

これは宗教に似ている。

「お金を受け取れないのは信心が足りないから」とさらなる信心を求められる。

それでも、信じれば救われるのではないか?と彼女らは思わせようとしますが、過去に「お金はある」と思い込んで散財した有名人の人たちを思い浮かべて欲しい。

大きく成功したスポーツ選手や歌手たちが「自分にはお金はたくさんある」「お金は好きなだけある」と深層心理の奥まで思い込み、それなのに破産してしまったという話は山ほどあるではないか。

親が金持ちで、好き勝手に甘やかされ、お金は生まれたときからあると信じ込まされ、気づいたら親の資産を全て食いつぶしたという話も山ほどあるではないか。

こういった人たちが「お金はある」と思い込む行為はまさに、起業女子たちの存在給を認めることと同じだろう。

「いや、違う、彼らは本当の意味でお金が自分にあることを認めていない」と言えるのだろうか?若くして大金を手に入れた彼らや、生まれ持ってのセレブだった彼らが心の中で思う「お金はある」と言う気持ちよりもさらに強い気持ちをあなたは持てるとでも思っているのだろうか?

こういうと、さらに反論は来るだろう。存在給を認めても、散財しては意味がない。彼らが破産をしたのは正しくお金を使わなかったからだと。

しかし、存在給のあげ方というのは、自分にはたくさんの価値がある。たくさん受け取れる権利があると思い込むことだ。そう思い込むと同時に気持ちが大きくならないとでも言えるのだろうか?

私は、どんなに気持ちが大きくなっても散財しない。正しくお金を使うと言いきれるだろうか?そこまで人間が出来ているのだろうか

では、彼女たちはなぜこのような危険な考えを広めようとするのか?

それは自分たちの集客のためだ。

お金持ちにはみんななりたがっている。

楽をしてお金を稼ぎたいと思っている人は多い。

そういった人たちを甘い言葉で集客しているのだ。

そこで疑問にもってもらいたい。

集客をするということは彼女たちも労働をしているということ。

働かなくても、何の価値も提供しなくても存在するだけで存在給が受け取れるのなら、彼女たちも集客をしてセミナーを開くなどの面倒なことをしなくてもいいのではないか?

そんな人たちが集客の手段に使っている存在給という考え方を信じると

気持ちが大きくなり散財につながるのでご注意願いたい。