「やっと私の苦しんでいた理由が分かりました」の違和感について
人は誰でも何かしらの悩みを抱えている。
生老病死。誰にでも、どの人生にも苦しみはある。
そんな中で一部のコミュニティーの中でこのようなコメントが多く寄せられているのを見ることがある。
「やっと、私の苦しんでいた理由が分かりました」と言ったものだ。
そんなに簡単に苦しんでいた理由が分かるものなのだろうか?
と言うよりも、今まで分からなかったのだろうか?
今まで分からなかったものが分かったということは、さぞ目の覚めるようなことが書かれているのだろうか?
そのように思い、記事を読むと、僕の目が覚めるようなことは書かれていない。
どちらかと言うと「しなくていい」系の論だ。
詐欺師にとって「しなくていい」系の論は人から感謝をされやすい便利な代物だ。
「いい人にならなくていい」
「強くならなくていい」
「努力しなくていい」
と言ったもの。
「強く生きなさい」などと言われるよりも「強くなくていいんだよ」の方が聞く人を感謝させ、自分に依存させることが出来ることを彼らは知っている。
彼らが教えることが出来るのは、気持ちの持ち方だけで、具体的にどう動けばいいのかは教えてはくれない。
しかし、現実の世界では、具体的にどう動くのかを求められるものだ。
例えば、こんな人はいないと思うが「売上をあげるにはどうすればいいですか?」の会議の場で「お金は汚いものではなく美しいもので感謝の気持ちをもてばお金の波に乗れます」と言うと笑われるだろう。
気持ちだけで勝てるほどビジネスは甘くない。
しかし流行る論説は甘いものが多い。
目の前の現実の問題を具体的に解決するのは難しくても、気持ちの問題は言葉で解決が出来るように説明が出来る。
「あなたが苦しんでいるのは、自分で自分を責めているからだよ」と言えばおしまいだ。
甘い話はカモに感謝をさせやすい詐欺師にとって便利な代物だ。
そんな浅い話に今さら感動するほどの価値はない。
「私が苦しんでいる理由がやっと理解出来ました」と感謝の言葉を述べるのはカウンセラー系の詐欺師に養分を与える行為である。
つまり、僕が感じた違和感の正体は、具体的な解決策でない精神論に感謝の言葉が殺到することだ。