長い年月と多くの先輩方が今のやり方をつくってきたという重み
私が賃貸不動産の営業の会社で勤めていた時のことだ。
会社でもトップクラスの営業成績を誇る先輩に仕事を教えてもらった。
何度も何度も、話の持って行き方を教えてもらった。
しかし、私は教わった話の持って行き方に大きくアレンジを加えてしまった。
なぜ?それは、自分を出したかったからだ。
俺には俺のやり方があるという若かりし、血気盛んな時期だった。
しかし、それでも契約が取れた。
なぜ契約が取れたのか?
それは、急ぎで部屋探しをしているお客様だったからだ。
つまり、よほど変な営業をしない限りは契約する気満々のお客様だったからだ。
そんな私の姿を見て先輩は「ずいぶんアレンジを加えたんだな」と言った。
「あっ、怒られる」と私は身構えた。
そんな私に先輩はつづけた。
「もしかしたら熊君のやり方が正解かもしれないな」と。
「いきなり何を言い出すんだ?」ときょとんとする私に先輩は・・・
「この営業はまだまだ改良の余地はあると思う。まだまだ俺のしらないやり方があると思う」
「だから、熊君があっと驚くようなやり方で大成功する可能性もある」
「しかし、今まで長い年月かけて、多くの先輩方が回り道をしながら今の営業が出来ていることも考えた方がいいと思う」
「熊君が新しいやり方で成功するかもしれないけれど、その代わり俺はもう熊君に教えてあげられない。なぜかというと自分がやったことのないやり方にアドバイスできるほどの力が俺にないから」
と諭すように話をしてくれた。
私はここで自分の行動に深く反省することができた。
長い年月と多くの先輩方が今のやり方をつくってきたという重みを想像することができた。
その口伝のような重みを無視するのはどうだろう?
先輩が言う通りに、成功する可能性ってどうだろう?
そして、自分を出したいという気持ちで、先輩からの教えに外れて、はたして私は生き残れるのだろうか?
深く考えた上で、「勝手なことをして申し訳ございませんでした」と深く謝ることが出来た。