馬を水飲み場に連れて行っても水を飲まない理由
「あなたを悩みの世界から救い出します」と言って高額なノウハウを売りつける先生がいます。
しかし、「悩みを解決する方法論」は供給過剰でなかなか目新しいものを打ち出すのは難しい。
そこで、先生は悩みの原因をあるところにすり替えて説明することでいかにも新しいメソッドのように加工して金儲けをたくらんでいるようです。
例えば、「好きなことをやろう。その方が自分を大事に出来て、幸せになれる」という教えがありますよね。
これは、過去に多くの人が発信してきた幸せになれるための方法論で、そのままだと手垢のついたような、ありふれた幸せ論でしょう。
なので、それを目新しいもに勘違いさせるために、先生はこのように加工をするのです。
「みんなが安心して生活出来るようにと長い年月をかけて作られたモラルや道徳観が、〇〇してはいけないという固定観念に繋がり悩みの原因になっています」と悩みの原因をモラルや道徳観に置き換えます。
なぜモラルや道徳観を悩みの原因に置き換えるのか?
それは誰もが持っている道徳観による行動の制限を悩みの原因にすることで今までにない悩みを消す方法だと思わせて集客したいからでしょう。
そして、この手の先生に傾倒しがちなのは中年女性が多いのです。
しかも、結婚して、子育てをして、自分の思うように行動が出来ない主婦の方は少なからず、自由になりたいけれど自由にできないストレスがあるでしょう。
そういった自由になりたいけれど、家族のためを思うと自由に出来ない主婦の心を過剰なまでに、ほぐして高揚させるのです。
例えばこのようなものがあります。
「結婚相手に遠慮してやりたいことをあきらめる。快楽に溺れてはいけないという道徳観という固定観念で自分を押し殺す。我慢はマイルドな自殺です。なのでもっとやりたいことを追求しよう」と言う先生の教え。
先生はそうしてカモの気持ちを高揚させて手のひらの上で踊らせたいのです。
また、先生はこのようなことを言うこともあります。
「人生は何度でもやり直すことが出来ると言うのに、結婚だけは始めてのチャレンジで成功させなければいけないという風潮がある。思い込みを捨て何度でも、はい次ーー、と思うほうが幸せなのですよ」と。
これに多くの悩み多き主婦が「先生ありがとう」と傾倒していくのですが、よく考えてみると少ないチャレンジで幸せになったほうが楽でしょう。
私たちは、子供のころから「人の気持ちの分かる人間になりなさい」と教えられて育ってきました。
先生は、そこを利用して、幸せ論を唱えているのです。
例えば、このような人の気持ちよりも自分の気持ちを大事にする論があります。
「欲しい気持ちは素直に口に出そう」
「それが自分の気持ちを大事にすることに繋がり幸せになれるのです」
そう先生は言うのですが、よく考えるとおかしなことです。
例えば、恋愛を例にして考えてみると、相手の気持ちを大事に考えず「あなたの心が欲しい」と言うと相手は困惑するでしょう。
それでもしつこく自分に身持ちに素直になり「あなたが欲しい」と付け回すようになるとストーカーとして相手も自分も傷付くでしょう。
もう一つ、仕事を例にして考えてみたいと思います。
欲しい気持ちを素直にぶつけたほうが幸せになれると言う先生の教えを例えば営業マンが実行したらどうなるでしょう?
「契約が欲しいので契約下さい」と。
もし、僕が客なら欲しがるだけで与えることを考えない営業には契約しないでしょう。
自分の気持ちが第一で顧客の得を考えない気持ちが透けて見えるからです。
自分勝手に生きるということは、モラルや道徳観から多くの人が二の足を踏むことです。
そういった当たり前の気持ちを前にして先生は、「それではだめです。自分勝手に生きるのは恐怖でしょうが、その先には幸せの海が広がっているのでバンジーしなさい」と説いているのです。
そして「どうせ、私は嫌われているから嫌われようとバンジーすると幸せの海にダイブ出来る」という先生の妄言を信じて居場所をなくす相談者が出てきます。
そうして居場所をなくした相談者に先生は「おめでとう、あなたがいるべきではなかった場所から解放され、新しい場所に出発出来るね」ときれい事を言うだけなのです。
新しい場所は相談者自身が探さなければいけないのです。
そうして、相手の気持ちよりも自分本位に生きるを追求した結果、周囲から距離を置かれることがあります。
そして「あの人に無視されている気がする」「あの人に馬鹿にされている気がする」と悩むようになります。
その悩みを先生にぶつけるとこのように答えられるのです。
「あの人に無視されている気がする」「あの人に馬鹿にされている気がする」は普段からあなたが自分に言い聞かせているところから来ますと。
これは、さもあなたが気付かない悩みの原因を私は知っているんだよと、先生は相談者にアピールしているのです。
こういった、モラルや道徳観を固定観念だと決めつけて、そのブロックを解除しようという幸福論はまともな人は眉をひそめるものです。
そこで、心ある人から批判の声があがります。
「みんなが安心して生活できるようにと長い年月の中で生まれたモラルや道徳観を踏みにじるな」と。
すると、先生はこう反論ですのです。
「あなたが救われないのは、あなたが救われる気がないからだ。のどの渇いた馬を水のみ場に連れて行っているのに飲まないことと同じだ」と。
つまり、先生は大衆と言う名の馬に、幸せになれる方法論と言う名の水を提供しているのに飲んでくれないと言っているのです。
しかし、馬が飲まないのは、それが泥水だからなのです。ヒヒーーーン。