学んだ心理学を手放すと楽になったという先生は矛盾だらけです。
「心理学を学んだのは、自分を大きく見せる為でそれなりの効果はあった。しかし、ある時それは小手先のテクニックにすぎないことに気づき、学んだことを手放すと楽になった」と先生は自慢げに言っている。
これは、今までの世の中にある心理学は小手先であると思わせる小手先の論法だ。
「心理のテクニックを学び、使うことで多くの人に愛された。しかし愛されているのはテクニックがあるからで自分が愛されているわけではないと気づきテクニックを捨てた。すると多くの人が離れたけど多くの人に支持された」と先生が言う。
これは、小手先のテクニックを使っているけれど使っていないと勘違いさせる論法だ。
例えば先生はこのような小手先の発信をしている。
「宇宙の流れは魂の思索の時期に突入しています。あなたの中にある不安や悩みがちょっとしたことで大きくなるかもしれません。これは宇宙があなたに考えて答えを見つけてもらい魂を成長さするために用意した時期です」と。
このように先生が言う理由は、心の中に不安や悩みを抱えている人だけを見込み客にしたいからだ。
心の中に不安や悩みがない人はスルーしてくださいと言うことだ。なんという小手先だ。
小手先はまだまだつづく。次はクレームに対してはぐらかす小手先の技だ。
「人に迷惑をかけてバンジーしよう。金は使ってもなくならない」という先生のアドバイスを受け入れられない人は多くいる。
そこで先生は「怖くてやらないの恐怖感がチャンスを棒にふる」と説いている。
つまり、自分の教えを受け入れられないのなら、それは、あなたが悪いんだよという具合にもっていきたいのだ。
しかし、先生の教えが受け入れられない理由は別にある。
「良いのは分かるけれど怖い」のではなく、「良いことはなにもない」から受け入れられないだけだ。
先生は、宇宙がこう言っていると言えばカモは信じてくれると思っている。
「宇宙からメッセージが下りてきました」と宇宙セミナーの先生はせっせとブログを毎日更新している。
しかし、宇宙が善良な人にだけメッセージを下ろして悪人をまともな道に導かないというのはおかしなことだ。
そう考えると先生の自分にはメッセージを受け取れるというのは都合の良い嘘だと分かるものだ。
「あれしてはダメ、これしてはダメと選択肢が少ないより、バカでもいいし、太ってもいいし、病気になってもいいし、不倫してもいいし、なんなら死んでもいいし、選択肢が多いほど気持ちは楽になる」と先生はとんでもない理論を展開しだした。
こうして先生が指し示す道は先生への盲信一択であります。
「あなたは本来は天高く飛び上がれるのに自分で自分に重りをつけています。子供に寂しい思いをさせたくないという重りで不倫しない。そんな重りなどさっさと捨て去りましょう」と先生は言っている。
そんな屁理屈に惑わされてはいけない。
先生がおっしゃるその重りはあなたを優しく守る重りかも知れないよ。ええっ。
先生はとにかく奇をてらった発信が好きであり、質問に対する答えもオリジナリティーを出そうと必死になっている。
例えば「家事をしない嫁を殴って泣かせて後悔しています。心が苦しいです」と言うカモからの相談。
これに「嫁はあなたに殴られるために生まれてきた。前世で出来なかったことを今世で出来るために」と先生は答えているのだ。
とんでもないことだよね。奥さんがかわいそうだよね。
「嫁は旦那に殴られるために生まれてきた」というとんでもない考えの先生。いい加減にこんな先生の言うことは聞かないでもらいたい。
では、どうして、普通の人が顔をしかめたくなるようなことを先生は言うのか?
それは、相談者が嫁ではなくカモの旦那だからだ。カモは「自分は許されている」と喜び先生に盲信して行くのだ。
「あなたがいつまでも苦労をしているのは人から『頑張っているね』と認められ邪険にされないように予防線をはっているわけで、予防線を乗り越えバンジーしないと幸せの扉はバッカーンしません」と言う先生の言葉を信じてバンジーすることは命綱を絶ちきる行為である。危険です。安易に信じないでください。
そんなバカな話があるかと思うような発信を好む先生。
より多くの信者を獲得するために信者の体験談をせっせと発信している。
信者が幸せの扉をバッカーンさせた例を紹介した後に「誰の言葉を信じるか、誰の言葉をスルーするかで人生の扉は変わります」とどや顔する先生。
そんな強気の姿勢を見ると、もしかして先生の言っていることはすごいことかもと思いがちだが、先生が紹介する信者の声だけではなく、先生とは別の世界から声をあげている元信者の声にも耳を傾けてもらいたい。
先生に踊らされて不幸の扉をバッカーンさせた多くの人の声。
先生は自分にとって都合の悪い声はスルーしているのだ。
言葉巧みに混乱させて信者を獲得しようとしている分、その教えには多くの矛盾点が見えてくる。
例えば「もっとこうありたい。もっとほしい。もっともっとの気持ちがあなたを苦しめている」と先生は言っている。
しかし、先生の精力的な活動と批判の声に過敏に反応する姿はまさに、もっともっと信者がほしいのお姿だ。大いなる矛盾だ。
「嫌なことは我慢しない方がいい。人に迷惑をかけた方がいい」と先生が言うのは、カモは後で辛い思いをすることなど考えずに今が楽なほうを選ぶことを知っているからだ。
「お金は使っても減らない」と言っておきながらクレームが入ると「使ってなくなるのは当たり前だろ?」と反論している先生。
「使ったらなくなるのは当たり前だろ」と言う前に「使ってもなくならない」と言ったことに矛盾していることに言及すべきだ。
しかし、先生は間違いを認めたくなく、そこからは逃げているのだ。