ありがとう熊さん

食品スーパーのおやじが、生き方について辛いことも楽しいことも含めて、心を込めて書かせてもらいました。

「遠慮せずに言うべきだ」は自分で思うよりも人から言われた方が強く実行に移せられる

取引先からイベントに招待されることがある。会社からの指示で各営業所から1名ずつ参加するように言われるのだ。表向きは強制ではない。しかし、ほとんどの営業所は空気を読んで各1名ずつ参加をさせていた。

そして、任意での参加のため、ほとんどの社員は公休を利用していたのだ。イベントは通常の仕事とは違い、気が楽で楽しい面もある。しかし、公休扱いなのはどうかと言う疑問は多くの社員が心の中で思っていた。

そんなイベントへの参加を上司が同僚にお願いした時の事だ。同僚は上司にこう言ったのだ。

「出勤扱いで、交通費も請求してよろしいですか?」だ。

上司からの指示で参加するから仕事になる。遊びに行くわけではないからだ。そのため、同僚の意見が通り、出勤扱いで交通費も出ることになった。

そのことで上司は後で、私に愚痴を言ってきた。

「あんなことを言う社員は他の店にはいないよな。空気を読めないのかな?」

上司が愚痴る気持ちも分かる。他の営業所の社員は公休で参加をしているのにどうしてあの人だけ出勤扱いでの参加になるのだと思ったのだ。

しかし、上司からの指示は会社からの指示なのだ。会社から「行ってくれないか?」と言われて参加するイベントは仕事とみなすべきなのだ。

同僚は社員として当然の権利を主張しただけなのだ。ただ、他の社員が遠慮をしてなかなか言いだすことが出来なかったことを言ったから、「あんなことを言う社員はいない」と上司に煙たがられたのだ。

上司はさらに「あの人はどこかの営業所に異動になってくれないかな?」と言っていた。その時、私は心の中で「異動して欲しくない。あの個性は組織の中では必要だ」と思った。

組織の中では上司に言いたいことを言える存在というものは貴重なのだ。働く上での当然の権利を遠慮もなく主張する人はどこの職場にも一定数はいるものだが、その絶対数が少ないのだ。

みんな嫌われたくないのだ。自分勝手な奴と思われたくないのだ。だから我慢するのだ。

私もそうなのだ。上司に対して大きな不満を抱えていても、なかなか言い出せないのだ。

「言いたいけど言えない」というストレスで苦しむことがあるのだ。そんな時はこの同僚に話を聞いてもらうと勇気を分けてもらえることがある。

私が仕事を多く抱え込み、なかなか終わらないことを同僚は心配してくれたことがある。

「上司に助けを求めたら?」と言う同僚の言葉に。確かにそうだなと思いつつも「でも、言いにくいんだけど・・・」と答える私に・・・

「そこは遠慮せずに言うべきだと思うよ。だって、どう考えても終わるような仕事量じゃないでしょ?だったら手が空いている上司に助けを求めても当然でしょ?」

「でも、上司にそんな事言ったら嫌な顔されそうで」

「いや、逆に言わなきゃ駄目だと思うよ。だって店のことを思って言っていることなんだから、それで嫌な顔をするんだったら上司失格だよ」

「大丈夫ですかね?」

「もし、上司が嫌な顔してきたら私に言ってきてくれる?即、抗議するから」

結局私は上司にお願いをした。上司は「何で?」と聞いてきた。私は一人ではとても終わらない理由を説明した。その説明があったから上司は手伝ってくれた。

こんなことを言ったら嫌われるかもと思う恐怖がある中でも、きちんとした説明が出来るのなら言うべきなのだ。

しかし、誰もがそんなことは分かっているのだ。分かってはいても言えないのは、遠慮の美学に支配された心が邪魔をしているのだ。

そんな時は「そこは遠慮せずに言うべきだ」と自分に言い聞かせようとしても、「でも、大丈夫かな?」と不安の声が心の中に生まれるのだ。

心に生まれた不安の声は自分で消そうと思っても簡単にはいかない。だから「そこは遠慮せずに言うべきだよ」の言葉は心の中で思うよりも、誰かに言ってもらうことで「そうだよな」と強く実行に移せるものなのだ。