ありがとう熊さん

食品スーパーのおやじが、生き方について辛いことも楽しいことも含めて、心を込めて書かせてもらいました。

職の入り口を後になって変えるのは困難なものになりがちである

学校を卒業して、最初に入った会社を辞めることにした。理由は、「もっと自分に合う仕事があるかも知れない」と思ったからだ。
辞めた後、「さてどうするか?」と悩んだ。これと言ってしたい仕事はなかったからだ。しかし、子供の頃からの夢はあった。社長になることだった。
何か取り柄があるわけでもなく、まとまった資金があるわけでもない私は、出来るだけ簡単に社長になれる道はないものかと求人誌を見ながら考えた。
そこで候補に挙がったのが防水の職人の仕事だった。様々な会社が将来は独立可能というフレーズで人を募集していた。「これだ。これこそ私が探していた道だ」と思った。
手に職をつけて独立。他の業種に比べて開業資金は少なく済みそうだった。腕が良ければ親会社から仕事をもらえる。そんな独立だった。
さっそく、どの会社にしようか考えた。そこで気になったのが「独立可能」というフレーズで募集をしている会社は日給月給といって、非正規雇用の会社がほとんどだったことだ。
社員ではなかった。逆に社員募集の会社の求人を見ると「将来の幹部候補生」として募集をしているので、独立をさせるような会社ではないと思った。
ここで悩んだ。社員の方が将来は安定できそうだ。しかし、非正規のアルバイトの方が、将来独立の夢を描きやすそうだ。私は悩んだ末に非正規雇用の会社に入ることにした。
正規雇用の会社に入ってすぐ、親会社の社員が現場の責任者をしているところに配属された。
そこの責任者である社員さんと仲良くなり、給料の話をした。社員さんは入社して5年で、月給は二十五万円だった。色々引かれて手取りは二十万円あるかないかだと言っていた。私はどことなく申し訳ない気持ちになった。
なぜなら、私は日給1万四千円だったからだ。月に二十五日働くとして三十五万円だった。しかも税金は、自分で税務署に申告して払うというスタンスだったのでほぼ全額が手渡しで貰えた。
私は、自分の選択が正しかったと喜んだ。給料が社員より多く、しかも独立可能だったからだ。
しかし、職人の世界は厳しかった。簡単な仕事ばかりさせられて難しい仕事はなかなかさせてもらえなかった。職人は経験が物を言う世界だが、その経験がなかなかさせてもらえなかったのだ。
この経験値を一気に上げる方法は現場の責任者になることだった。責任者になれば自分で、作業内容を決めることが出来るからだ。
しかし、この現場の責任者になるにはある程度、周囲に認めてもらう必要があった。私にはそれが出来ずに5年の歳月が流れた。
そこで気になったのが、親会社の社員は大して経験がないのにもかかわらず、現場を任せられていることが多いことだった。
5年経っても簡単な仕事から抜け出せない私に対して、社員のほとんどは入社して半年で現場を持たせてもらっていた。そこで、苦労しつつも一人前の職人に育って行くように思えた。
早く仕事を覚えて一人前になりたい私は、とても悔しかった。職人になった最初の理由は独立だったのだが、もう独立よりも、周囲に認めてもらえる職人になることの方が大事になっていた。
ある日、仲良くなった社員の先輩に、「社員さんって入社してすぐに現場を任せてもらえていいですね」と言った。
すると、「お前も社員になったらいいのに。そしたらすぐに現場を持たせてもらえるよ。少々不器用でも、社員として育てたいという会社の考えがあるから間違いないよ」と言ってくれた。
私は親方に相談した。「親会社の社員になりたいのですが・・・」親方は断った。「なぜなら私は親方が求人を出して、面接をして雇った人間だからだ。それなのに、社員として雇っている親会社がいいと言って簡単に異動されたら親方としての立場がないということだった。
確かに逆の立場なら私もそう思うだろうと思った。ここで、私は入り口を間違えていたと後悔した。