ありがとう熊さん

食品スーパーのおやじが、生き方について辛いことも楽しいことも含めて、心を込めて書かせてもらいました。

遺産相続で、一度もあったことのない兄弟には会うべきか?会わないべきか?

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父に会いたい・・・・でも怖い。

いきなりの知らせに、悔しさと後悔の念で体が震えました。今まで生きてきて、後悔先に立たずと言う言葉があれほど心を苦しめたことはありません。30代前半、結婚して親と離れて暮らす私に母親から電話がありました。

小学生の時に生き別れた父親が、先日亡くなったと言う知らせでした。私は泣き顔を妻に見せたくないため、家を飛び出し、公園で思う存分泣きました。

泣いた理由は寂しさよりも、社会人になってからずっと思い悩むだけで行動に移せなかった自分が情けなくなったからです。

父に会うべきか会わないべきか?

会って後悔するのと会わずに後悔するのと、どっちが自分にとって正解なのだろう?生き別れてからずっと、ずぅーーーっと思い悩んでいました。大人になったら父親に会いに行こう。そう決めていた私。

でも、会いたい気持ちでいっぱいなのに、踏ん切りがつかなかったのです。怖かったのです。父親との記憶はそれほど多くありません。

まだ私が小さかった頃、父とは仕事が忙しいと言うことで、めったに会えなかったからです。それでも、私のことを可愛がってくれてたような記憶はあるのですが・・・

20年以上会っていない事実が、今さら会ってどうするんだという心理にするのです。

「会ったら、喜んでくれるだろう」そんな気はしてました。しかし、いきなり私が現れて、何を話したらいいのだろう?と思うのです。

少ない記憶ではあるものの、愛されていたような記憶はあるのですが、20年も前のことなので、今はどうなのか?と思うのです。

会いたい。怖い。会いたい。怖い。心の葛藤の中、「よし、今年は」。「よし、来年は」と先延ばしにしていた私はもう我慢出来なくなっていました。父親は高齢になっていたのです。

父親が亡くなるまでに一度は会うべきだ。

これ以上先延ばしに出来ない。「やらずに後悔するよりも、やって後悔する方が良い」。そんな言葉で自分の背中を押す覚悟を決めようとしていた頃の訃報でした。

父親に会いたいという気持ちは今までの人生で2回だけ他人に話したことがあります。一人は昔からの親友。もう一人は、職場の何でも自分のことをさらけ出して話をしてくれた先輩。

二人の意見は正反対でした。

親友は

「俺からのお願いがある。父親に絶対に会った方がいい。そうでないと絶対一生後悔することになるよ」

先輩は

「会わない方がいいと思うよ。会っても何にもならないことだし、逆に面倒なことになることの方が多いと思うよ」

二人のアドバイスはともに私の心に刺さりました。それは、両方とも私のことを真剣に思ってくれてのアドバイスだったからです。

しかし、結局は自分で決めることだと思いました。会ったらどうなるかは会って見ないと分からないのです。それで思い悩み結論を先延ばしにしてしまったのです。

そして、父親が亡くなってから、遺産の相続問題が発生しました。

父には妻と子供が3人いました。その長男が遺産を遺族で分配するために手続きをしようとした時に私の存在が発覚したのでした。

父は私を子供だと認知をしていたのですが、通常の戸籍ではその存在が分からなくなっていたそうです。

亡くなった後,すべての戸籍を見て初めて私の存在を知った長男は弁護士に相談して、私の相続手続きを進める手配をしました。

産まれてから一度も会ったことのない弟である私ではあるものの、認知をされている子供である以上は、私抜きでは相続の手続きを進めることが出来ないそうです。

遺産分割の協議は相続人全員で行わなければならないのです。

そして母親と一緒に向こうの弁護士の先生に会うことになりました。

弁護士の先生は、父親の遺産が不動産はこれだけあって、株がこれだけあって、預金がこれだけあって・・・と事細かく説明してくれました。

その上で、妻がこれだけ、長男がこれだけ、・・・・そして私がこれだけと説明してくれました。

私以外の相続人は全てそれで納得したようで、最後は私が納得すれば、その金額で決まるという状態でした。

ここで、いやらしい話になるのですが、父は3つの会社の会長をしていました。それにしては残された遺産は少ないと思いました。弁護士の先生は、「不服の申し立てをすることは可能です」と言ってくれました。

「不服の申し立てをするかどうか?

この言葉に私は、「う・・・・」となりつつも、母の判断に委ねました。母は母子家庭で私を苦労しながら育てたのです。

お金で一番苦労をしたのは母だと思ったから母の判断に委ねたのです。すると母親は「これで、良しとしましょう」と言いました。

後で母は私に、「不服申し立てをしたら、間違いなく金額は増えると思う。でも、それがどれだけ遺恨を残して、後に自分のところに返ってくるかどうかを考えると、それはしない方がいいと思う」と言っていました。

弁護士の先生とさよならして、私は、もう一つの抑えきれない感情が湧いてきました。

「俺に兄弟がいる。どんな人?会いたい」

しかし、父親に会いたいと思っていた気持ち以上に恐怖もありました。父親には少ないながらも多少の記憶があったものの、兄弟には、まったく会ったことがないので、どんな人なのか、まったく分からないからです。

しかし、「やって後悔するよりも、やらずに後悔した方が大きい」という言葉や、父親に会えなかった後悔が、私を突き動かしました。お兄さんがどんな人かなんて分からない。でも、血を分けた兄弟であることには違いないと思ったのです。

後悔先に立たずの思いです。

会って後悔しても、それはそれで、自分の人生にケリを付ける意味で納得出来るのです。そう思い、名刺を頂いていた弁護士の先生に連絡しました。

数日後、先生から電話がありました。「お兄さんは、あなたに会うとおっしゃってます。しかし、あなたの母親には会いたくないと言ってます」

「血がつながっているあなたにだけは会ってもいいそうです」

私は飛び上がるほど喜びました。後は日時と場所を、後日決めるだけで、産まれてから一度も会ったことのないお兄さんに会えるのでした。

しかし次の日、母親が血相を変えて私に連絡をしてきました。「あんた、何を考えてるの?」私は、いきなり母親が自分の決めたことに、口出ししてきたことに対して訳が分かりませんでした。

弁護士の先生が母に連絡をしたそうです。

「何を考えてる?」と言われても、会いたい気持ちっていうのは理屈ではないし、今から思えば遺伝子レベルでの気持ちなのですが、いきなりで返事ができない私に母は・・・

「あんたは、突然お兄さんとお姉さんが出来て、嬉しいと言う気持ちで舞い上がってると思うけど、向こうの家の人はそんなこと思ってないことも理解出来ないの?」

「はっきり言わないと分からないの?あなたは向こうの家の人にとって、いらない子なの。遺産相続の時にいきなり発覚した子なの。あなたが考えてるほど、遺産相続の場での兄弟の感情は一筋縄ではいかないの」

「あなたは嬉しいと言う気持ちで会いに行くかもしれないけど、そんな気持ちで行ったら間違いなく傷ついて帰ってくるのは目に見えてる。例えば、相続の際にあなたが、「放棄します」と言って一銭の金も受け取らないのなら、もしかしたら会う価値はあるかもしれない。でも、そうじゃないでしょ?」

母の言葉には、私を心配してくれている感じが伝わってきました。

母は、大人になってからの私のあらゆる人生の決断に一切口を出してきませんでした。勝手に会社を辞めても何も咎めないし、嫁さんを初めて紹介した時も無条件で、受け入れてくれました。

つまり、「いい大人なんだから自分で好きなように選択をしなさい」という感じでした。そんな母が、私の決断に口を出してきました。

私は、そう言うのならと、しぶしぶ納得がいかない気持ちのまま、お兄さんと会うことを止めました。なぜしぶしぶかというと、母は私よりも長い人生経験があり、自身の父親の相続でもめた経験もある中で、私にアドバイスをしているのですが・・・・

母親とはいっても一人の人間であり、神様でも何でもないので、その考えが100%正しいとは言えません。

もしかしたら、お兄さんと意気投合して、その後いいお付き合いになる可能性だって少しはあるのです。答えの見えないことは、やってみないと結果なんて分かりっこないのです。

だから「やって後悔するよりもやらずに後悔する方が大きい」の言葉通り、大きな後悔が生まれたのです。

しかし、「あんたを産んで私は後悔してないから」と言った母の気持ちを考えると、自分の気持ちに素直になってあの時行動に移していたら?

やった後の後悔に、心配してくれている人を裏切った後悔がプラスされるのではないか?

心配してくれた人が、「だからあの時言ったのに・・・」と悲しむ姿を見ることも考えられるのではないか?

そのように思い、自分の感情よりも母親の心配を優先した自分を納得させようとしました。

自分自身が親になった今、あの日の決断に思うこと。

実は、あれから年を重ね、自分の子供が成長するたびに、あれほど大きかった後悔が小さくなりつつあることは、子供を思う親の気持ちが痛いほど分かってきたからだと思うのです。

母子家庭で苦労しながら育ててくれた母親のプライドを考えると、会いに行かなくて正解だったと今では思っています。

 

「契約が取れていないのに給料だけ取りに来るの?」と上司に言われた私が思うこと

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朝から大声で絶叫する営業の会社

まだ私が20代のころ、新規事業につき正社員大募集、月収50万円可能。仕事は口下手でも大丈夫。用意されたセールストークを、そのまま使うだけで契約が取れますという求人に、口下手な私でも大きく稼げるかも?と思い、入った訪問販売の会社。

そこは浄水器の訪問販売で大きくなった会社で、新規事業としてテレビでインターネットが見られる機械の取り扱いを始めました。営業所長は浄水器の販売でかなり上位の人が抜擢され、その下に、営業の実績を認められた2名の社員。そこに私たち15名の新人が加わり、事業スタートになりました。

とにかく、従業員に気合いを求める会社で、朝、扉を開けるときは大きな声で「おはようございます。本日もがんばりま~す」と叫ばなければいけません。少しでも声が小さいとやり直しです。朝礼も手を腰に当てて、「必ずや、一本取ってきます」とみんなで大絶叫をしてました。

たった3日で15人いた新人は半分になりました。

今思えば、コピーを取っておけばよかったと思うほど、良く出来たセールストーク。最初に表札でお客さんの名前を確認して「あ~○○さんですか?良かった。この前伺った時はお留守だったもんで、実は私、この地域を担当することになった○○と申します」と訪問販売であることを隠すような言葉から入ります。

さらに、家の中に入る時も、「実はこの地域のテレビ回線の切り替え案内をしておりまして、3分ほどで終わりますので、ちょっと見させてもらいますね」と不意打ちをするようなトークで家に上がりこみます。

しかしそう簡単に契約は取れませんでした。

時折、所長が見本を見せてくれます。私たちが丸暗記したセールストークとまったく同じことをしゃべっているだけなのに契約を取ってくるのです。

同じトークを使っても、お客さんに与える印象というか「この人になら契約してもいいかな?」と思わせる雰囲気を所長は持っていました。

数時間に一度、ワゴン車に集まり、そこで所長に報告して場所移動をします。それが夜の9時過ぎまで続きました。夜遅い時間の訪問はとても嫌がられます。現場に出て3日目で15人いた新人は半分に減りました。みんな契約が取れなくて辞めていきました。

私も1週間で根をあげました。その1週間で契約は一つも取れませんでした。訪問販売の会社は契約を取ってこないと日に日に上司の風当たりが強くなります。どんどん厳しい言葉を投げかけてきます。「仕事をしに来てるの?」「恥ずかしくないの?」様々な言葉で責められました。

心の葛藤の中、給料をもらうことにしました。

会社を辞めた後、私は大きな疑問をもちました。1週間働いた分の給料は?そういう話が辞める時にまったく無かったので、もしかしたらもらえないのかな?と思いました。

契約という結果を残せなかった私。営業は売ってなんぼの世界。売らなかったということは会社にまったく貢献をしていない。ただのお荷物だった私。ということは給料をもらえる立場ではないのか?と思いました。

しかし会社が言うとおりのセールストークを丸暗記して、朝早くから出社して、大絶叫の朝礼。そして夜遅くまで訪問して、所長に怒られ神経を随分すり減らした私の1週間は何だったんだろう?

「ここは駄目もとで請求してみよう」そう思い会社に電話をすると、事務の女性が出られ「それでしたら会社に取りに来てください。その際に来られる時間を言って下さい」とあっさり給料を出しますという話になりました。早速、善は急げと会社の事務所の前に行きました。

しかし、会社の偉いさんらしい人から心をえぐる言葉が・・・

働いていた時は、ドアを開ける時は「失礼します」と大絶叫するのが決まりだったのですが、もう私は辞めた人間です。普通の声のボリュームで「失礼します」と言って入りました。

すると、事務の女性従業員が飛んできて「いや、来られる前にお電話を頂けると思ったのですが?」と若干困惑した表情をしました。

新しい新人たちが集まってちょうど研修をしている最中で、恐らく辞めた私がいきなり現れたら士気が下がるという理由だと思います。

別室に通されて、「お待ちください」と言われ待つことにしました。すると、その会社の上司らしい人が出てきて、話しかけてきました。

「ちなみに君は働いていた時に契約を取ってきたの?」

そう上司らしい人に聞かれ、1週間働いたけれど、正直に契約は取れなかったことを伝えると、心をえぐるような言葉をかけられました。

「契約が取れなかったのに、給料だけ取りに来るの?」

と言われましたが、嫌みには絶対に応戦はいないでおこうとあらかじめ考えていました。もしかしたら契約をとれなかった私は嫌みの一つは言われるんじゃないかと想像をしていました。

「給料泥棒」「会社に迷惑をかけただけだね」そんな事を言われたらどうしようかとあらかじめ考えていました。それでも心がえぐられる気持ちになったのは、とても威圧感のある人に言われたからです。

ただ、給料は出しますという事務員の人からの確約はもらっている私。絶対に嫌みを言われても応戦はしないでおこうと考えていました。

なので「一生懸命頑張りましたけど、結果が伴わなくて申し訳ございませんでした」と素直に謝ることだけにとどめました。その後すんなりと給料袋を渡されて、ほっとした気持ちで事務所を後にしました。

私が給料をもらったことを知り仲間は驚きました。

その後、しばらくして、その会社で仲良くなった人から電話がありました。その人も私と同じ新人で、私よりも数日後に辞めたそうです。彼の話によると全員辞めたそうです。ちなみに私は契約が1件も取れなかったのに対して彼は1件取れたそうです。これには私も心から拍手でした。

仲良くなっていたので、ちょっと飲みに行こうということになり、大阪の繁華街で待ち合わせをしました。私は、次の就職先は賃貸不動産の会社に決まり、彼はまだ次は決まっていない状態。次も営業の仕事を探すと言っていました。訪問販売以外でという条件で。

彼は私が1週間分の給料をもらったと聞くと驚いていました。彼には私のほかにも連絡を取っている人がいて、みんな給料は諦めているということを言っていたそうです。

彼によると、「とにかく、あの会社から離れることができてほっとしてるから、給料はもういいと思っている」と言いました。

彼との会話

私 「いや、そんなこと言っていたら駄目でしょ?」
彼 「契約が取れないことを上司から『どれだけ会社に迷惑をかけたら気がすむんだ』と責められて、その上、たった10日間の給料をもらいに言ったら何言われるか分からないし・・・」
私 「でも、あれだけ遅い時間まで頑張っていた事実があるし、僕なんて契約をとってないけど給料もらってるのに、契約を1件とってるんだったら、なおさら堂々ともらいに行けると思うよ

プライドを取るか?行動を起こすかは自分次第

結局彼は、「それぞれの考えがあるしね」と給料をもらいに行く気はないことを私に言いました。この出来事は働いてお金を頂くという行為について深く考えさせられました。

基本給が決まっていて、実際に働いた事実があるのなら会社は給料を支払わなければいけません。法律上もそうなっています。

しかし、法律上ではそうなっていても、給料をもらう側が自分には受け取る資格がないと思うことがあるのです。

辞めた後は何も言ってこない会社もある。

私が勤めていた会社はこっちから出勤した分の給料を下さいと言わなければ、給料を支払わない会社でした。

彼が言うように、それぞれの考えがあると私は思います。私のように、たとえ1時間でも1日でも働いた分は請求したいと思う人もいれば、彼のように、会社に利益をもたらしていない立場で給料を請求するのはプライドが許さない人もいます。

会社にも、こちらから何かを言わなければ何も言ってこない会社もあれば、たとえ1時間でも働いた分の給料は連絡をとって払う会社もあります。

今回の記事は、こちらから何かを言わなければ何も言ってこない会社に勤めていて、私には給料を請求する権利があるのだろうか?そんな悩みを持つ人がいれば参考になるのではないかと思い書きました。

「いい仕事ですね」は褒めたつもりでも嫌味に聞こえる時がある

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親に金銭的負担をさせたくないと新聞奨学生をした時の話

私は、A新聞社の奨学金制度を利用して、新聞社から学費を立て替えてもらい、新聞配達所に住み込みで働き、大阪の専門学校に通っていました。朝刊、夕刊の配達、集金、チラシの折り込み、勧誘の仕事をさせてもらいました。

一番好きだった仕事は配達の仕事です。朝の3時ごろ、住宅街はしーんと静まり返った状態です。私の運転するバイクの音だけが聞こえてくる、なんともすがすがしい気持ちでした。

昨日は2時間かかった。じゃあ今日はもっと早い時間で配達を終わらせよう。そんなゲーム感覚の面白さもありました。

幼いころから無口だった私は、この仕事が好きになりました。配達中、お気に入りのジュースの自販機を決めておいて、いつも同じタイミングでほっと一息を入れます。

自分の世界にどっぷりと入れるような気持ちで、その魅力は40歳を越えた今でも、夢に出てくるほどです。

大嫌いだった新聞拡張の仕事。

配達所には、部数を増やすノルマがありました。そのため、私たち住み込みの奨学生も「新しく契約を取ってこい」と店長に言われ、住宅街を一件一件訪問しました。これが想像以上に大変なのです。

インターホン越しに「A新聞です」と言ったとたんにガチャっと切られて、扉さえ開けてもらえません。本当に冷たく断られます。

話すら聞いてもらえないことがほとんどです。怖いのです。もうどうせ断られるのだからとインターホンを押すのが嫌になりました。

2年間の住み込み生活の中、契約をとったのは、数えるほどしかありません。

今でも覚えてるのは、恐る恐るインターホンを押したら出てこられた年配の女性。「若いのに大変ね、学生さん?」と言われ、自分が新聞奨学生であることを言うと、「じゃあ取ってあげる」と言って契約をしてくれたことです。その気持ちがとても嬉しく思いました。

中にはずるいと思う拡張員もいました。

新聞購読の契約を取るプロである新聞拡張員の案内をするのも私たちの大事な仕事でした。毎日配達をしている私たちはどの家がまだ契約をしていないかを知っています。どの家が以前に他社の新聞に乗り換えられたか知っています。それを教える案内係です。

この拡張員。私が、怖くて仕方がない訪問を、なんの躊躇もなく、どんどんしていきます。それが彼らの仕事なのでプロとして当たり前のことなのですが、素直に凄いと思いました。生活がかかってるから、必死です。だから1日に数件の契約をほぼ確実に取ってくるのです。

しかし、中にはずるいと思う手口を使う拡張員もいました。他社のB新聞を取っている家に「どうも、どうもB新聞です」とずかずかと家に上がり込み「いや~いつもお世話になっております。これはお礼です」と言い、遊園地の券とか洗剤とかを玄関に置き、「ははは、ここにサインして、これもらってくださいね」と相手を混乱させる口調で契約してもらう手口を使う人でした。

しかし、キャンセルも多く、最後は「あの人はもう呼ばない」と店長が言っていました。

拡張員の中には、強引な手口を使う人もいれば、一生懸命説明して気持ちで契約を取ってくる人、様々でした。いろいろなタイプの拡張員を見てきましたが、強引な手口を使う拡張員はキャンセルが多く、店から良い印象を持たれていませんでした。

「お前のその言葉は人の仕事を馬鹿にしてる」

ある日のこと、いつも店に来る拡張員のおじさん(Aさん)が、いつもと違う白いクラウンでやってきました。話を聞くと新車で買ったそうです。私は、Aさんに喜んでもらおうと「へぇーー拡張員って、いい仕事ですね」「儲かるんですね」と言いました。

するとAさん、いきなり「お前馬鹿にしてるのか?俺がこの車を買うのにどれだけ苦労したのか分かってるのか?」と言ってきました。「え?そんなに怒らなくてもいいじゃないですか?」「儲かってるのは褒め言葉でしょ?」と私は疑問をぶつけました。

するとAさんは「お前はまだ子供だし、学生だから、これぐらいで許してやってるけど、お前が社会人だったら、俺は手が出ているだろな」「お前のその言葉は人の仕事を馬鹿にしてるんだよ」

私は誤解を解こうと必死になりました。「馬鹿になんかしてません。近くで仕事をみているから、凄いのも知ってるし、いい仕事だと思ってるのに、なんで怒られないといけないのですか?」Aさんは、あきれたような表情で「そのうち分かる」と吐き捨てました。

「いい仕事」かどうかは本人が決めるもの

後で、考えると私の「儲かってますね」という言葉はその人にとっては不適切だったと思いました。新聞拡張員には、その仕事に誇りをもってやっている人もいれば、そうでない人もいることを知りました。誇りを持ってやってる人は「この仕事は簡単そうに見えるけど営業の基本が全てつまっている」と自慢げに語っていました。

しかし、中には、20代で拡張員になり、彼女の実家に挨拶に行くと、「そんな不安定な仕事をしているやつに娘は渡さない」と言われたり、「俺たちは社会から嫌われてる」と口にする人もいました。

そのような人に「いい仕事ですね」「儲かっていますね」と言うのは馬鹿にしていると捉えられる場合があるのです。

この記事は決して新聞拡張員が誇りを持てない仕事と言っている訳ではありません。

仕事に誇りを持てるかどうかは職種ではなくて、その仕事をする人の判断によるものです。決して、新聞拡張員だけの問題でなく、全ての仕事に対して言えることだと思います。

人は自分にとって理想とする仕事に就けるとは限りません。他人が「いい仕事だな」と思っていても、やっている本人にとっては不本意な仕事であることもあるのです。

やっている本人が「いい仕事」だと思っていなければ、他人から「いい仕事ですね」と言われたら嫌みに聞こえることがあるのです。そこの所が分かっていなかったあの頃の私は、未熟だったと思います。しかし・・・

私の考えが未熟であったとはいえ、あの時、学生である私に怒った拡張員は大人げなかったと思います。悪気がない素直な気持ちを言っただけの学生に対して、大人が感情をぶつけるのは恥ずかしいのではないかと思います。

しかし、感情をぶつけられたことで、「いい仕事ですね」の言葉が、人によっては「馬鹿にされた」と受け止められることもあるということを知ることが出来ました。そういう意味では、いい経験だったと思います。