ありがとう熊さん

食品スーパーのおやじが、生き方について辛いことも楽しいことも含めて、心を込めて書かせてもらいました。

「このくそ忙しい時に」とイライラする時はビデオに撮られたら?と想像すべきである

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忙しさで心を失っていませんか?

忙しいという漢字の「忙」を分解すると「心(りっしんべん)」と「亡」の2つになります。つまり、心を失った状態と言うことで、そのような状態で、人に優しくなんて出来なくなるのでしょう。

食品スーパーの社員として忙しい毎日を送っていてつくづく思うことは、「この仕事は一人では出来ない」「仲間の協力なくしては成り立たない」と言うことです。

頭では、それが分かっていながら、あまりの忙しさに心を失い、ついつい周囲の人達に感情的になることがあります。

「なんで私だけが?」の気持ちで心を失う

皆さんの周囲にこんな人いませんか?

普段は、明るく優しい人柄なのに、忙しさからくるスイッチで考えられないほど攻撃的になる人です。

まさに心を失った状態で周囲が普段とのギャップに困惑するのです。しかしこの表の顔と裏の顔は、どちらも偽りの顔ではなく、その方の顔です。

これはそう簡単にコントロールできない面もあり、本人が直すという強い意思を持たない限りは難しいと思われます。

「人のふり見て我がふり直せ」

今回はその気づきを与えてくれた出来事を紹介したいと思います

新しい店長の話で盛り上がる私達

「何あの人?」って思うことがありますよね?

以前に、他店の社員がうちに遊びに来た時のことです。あることで、話しこんでしまいました。新しく交代した若くて元気な店長に、従業員みんながいろいろと振り回されているそうです。

特に被害を受けているのはそこの新人君です。  ちょっとでも店長が思ってる通りに動かないとキレられるそうです。しかも、朝の「おはようございます」から昨日の仕事の駄目出しをされるようです。

忙しい日は特に機嫌が悪くて、みんな近寄らなくなっているようです。「へぇーーそうなんだ」と彼の話を聞いた後、私はその店長のことが気になって仕方なくなりました。

実はその店長のことは良く知っている私です。彼がまだ店長じゃない時、会社の講習会で何度か一緒になったことがあるのです。何度もしゃべったことがあります。だから、彼の話を聞いて意外に思いました。

なぜなら私の知っている彼は、とても穏やかな性格をもっているからです。本社で、話した時、ニコニコ笑顔で終始穏やかな口調で話をしていたからです。

この人は、大人しい。物静か。優しそう。そんな印象しかありませんでした。キレる場面は想像出来なかったのです。なので、とても気になりました。

心の中で「本当かなそれって?見に行ってみようかな?でも、まっいいか。だって俺、暇じゃないし。他人の別人格見に行くほど、暇じゃないんだな。はははは」と思いました。ところが・・・

予期せぬ事態。

同僚の発注ミスで彼の店に、ある商品をもらいにいくことになりました。しかも、開店前の時間にです。

すると、「いたいた、新しく店長になった彼が・・・久しぶりに会ったし、俺の顔見たら、喜んじゃうかな?あっ、お久しぶりってな感じになるだろうな」そう思って「おはようございます」と言いました。すると彼は・・・・

まさかの対応にビックリ

「すみません。昨日連絡してた商品もらいに来ました」と言う私に、  「あーーそこの、勝手に持って帰ってください」と、とても不機嫌な表情で立ち去る彼。

「え?以前に本社で会った時は、仲良くしゃべった仲なのに?何だろう?奴は?何者だろう?偽者が乗り移ってるのかな?」と納得いかない私は、商品を車に積み込んだ後に・・・

再度彼に「あっどうも、有難うございます。もらって行きますね」。

すると彼はクビを縦に一回コクリと振り、またもや急ぎ足で立ち去りました。まるで、「このくそ忙しい時に、余計な仕事を増やしやがって。きさまの相手なんかしてられるか」という様なオーラを感じました。噂は事実でした。

さらに話はここで終わりません。

しばらくして本社での、ある説明会に参加した時、彼と一緒になりました。それまでの間、ずっと私は、あの時の彼の態度にイラッとしていました。

しかし、そんなそぶりを見せずにしれっとした顔で、この前の礼を言ってみました。腹を探ってみる感覚です。すると・・・

返ってきた言葉は多分、わざとではないと思います。「えっ何がですか?」と真顔で、そう言ってきたのです。

「いや、この前、商品を移動させてもらって助かりました」

「あーーそれですか。いえいえ、どういたしまして」

いつもの、にこやかな笑顔を見せた彼。それを見て私は、あの時のイラっとした気持ちが吹き飛びました。

逆に芽生えたのは「何だ。こいつは?はははは」という思いでした。

店に戻った後、同僚の女性社員に、この出来事を話しました。「そうそう、知ってます?〇〇さんって別の顔を持ってるんですよ」すると・・・・

「熊さんも人のこと言えないよ」

「え?人のこと言えないって?」

「そりゃあ誰だって、多少は別の顔はあると思うけど、あそこまで酷いかな?」

「いやいや、熊さん、自覚してないんかい?熊さんな。忙しくなったらフーフー言ってて、うるさいねん。眉間に思いっきりしわ寄せて、はっきり言って怖いで」

「ま・・・まじで?」

「マジマジ。ホンマにビデオ撮って見せてやりたいわ」

「いや~見たくない」

その時、はっと気付きました。

こ・・・これは神様からの気づきのプレゼントだ。そうだ。そうに違いないと。確かに、忙しくなると、イライラして、「フーフー」と言っている私です。

無意識と言うわけではないのですが、気分が「フーフー」になっていて言わずにはおれない自分がそこに存在していました。

つまり私にも別人格のスイッチがあったのです。しかも、「フーフー」と言うヤバい系のです。気をつけなくてはいけませんね(汗)

仕事のミスはお互い様。忙しいのもお互い様なのです

組織の中で働く以上は人とのつながりは避けて通れません。多くの人が携わる職場では周囲から突然、普段とは違う用事が舞い込んでくる時がありますよね。

今回のケースは他店ミスによる商品の移動という用事です。そんな時に注意したいのが「お互い様」の精神ではないかと思うのです。

全ての業務に速さが求められる職場では、忙しさで心を失いがちになります。そんな時に取り戻したいのは「相手への配慮」と「自分の落ち着き」です。

忙しい時は、私も人のことを言えないほど落ち着きを失いがちですが、心当たりのある方はお気をつけて頂きたいと思います。メモメモです。

あなたが人生に負けるということは期待しているみんなが負けるということである

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学生時代、新聞奨学生として奨学金をもらいながら2年間専門学校に通っていました。

なぜ私が新聞奨学生になろうと思ったのか?それは親に頼らずに学校に行きたかったからです。母子家庭で母親に大きな負担をかけたくなかったからです。

高校時代からアルバイトをしていた新聞配達所で新聞社の奨学金制度を知り、これなら親にお金を出してもらわなくても学校に行けると言うことで決意しました。そして学校に通いながら、配達所に住み込みで働くことになりました。


人生で初めて親元を離れて生活をする不安。そんな不安を吹き飛ばすほど配達所にいてる人達は温かい人たちばかりでした。とくに店長には大きな思い出があります。

競馬好きの店長との思い出

店長は大の競馬好きでした。1993年のエリザベス女王杯という有名な競馬のレースを店長とテレビで観戦していた時のことです。そのレースには、ベガと言う名の絶大な人気を誇る強い馬が出走していました。店長も、「ここはベガが勝つだろう」ということでベガの馬券を買っていました。


ちなみに私は、ギャンブルが好きではなかったので、馬券は買っていませんでした。しかし、店長が「ベガが勝つから、勝ったら飯をおごってやる」と言ったので私もテレビの前でベガを応援することにしました。そしてレースが始まりました。

「わーわー」と言う観客席からの凄い声援の声がテレビから聞こえてきました。

それに合わせて、アナウンサーが「ベガ、ベガは今8番手、ベガ8番手」とベガが今、どの位置にいるのかを連呼しました。

ベガ、ベガと連呼しているのはベガがそのレースの主役であると周囲が期待していたからだと思います。店長も「ベガ、ベガ行けー」とテレビに叫んでいました。

そして最後のカーブをすぎたころ実況は「ベガは苦しい、ベガ苦しい」と「ベガ苦しい」を繰り返したのでした。店長は、相変わらず、「ベガベガ」と叫んでいました。

そしてゴール近くになり、「内からホクトベガ、内からホクトベガ」「ホクトベガホクトベガ」とホクトベガをアナウンサーは連呼しました。

「え?ベガ?ホクトベガ?」と私は思いました。

名前が似ているからです。さらに「ホクトベガ先頭、ホクトベガ先頭、」とアナウンサーの声。この時店長は「おい、おい、ちょっと、ちょっと・・・・」そしてゴール後にアナウンサーは驚きとともに、競馬史に残る名セリフを叫びました。

「ベガはベガでもホクトベガ

ベガがホクトベガに負けたのです。店長は「マジか?」と嘆きました。 「ベガはベガでもホクトベガ」。この言いまわしはとても面白いと思いました。しかし、私は笑いをこらえるのに必死でした。

なぜ笑いをこらえたのか?それは、店長が怒っていたからです。ベガが負けた悔しさよりも、アナウンサーの実況に怒っていました。

普通に「ホクトベガが勝ちました」でいいのになぜ「ベガはベガでもという余計な言葉を言う?」と怒っていました。

私は笑いをこらえながら、「確かにこの実況はひどいですよね」と、自分も同じ気持ちであるかのような言葉を店長にかけました。

「ベガはベガでもホクトベガって、なんか馬鹿にしてますよね」と言う私に店長は「くっそーこの言葉は一生忘れられんわ」と言いました。

私は店長から一旦遠ざかり、見えないところで体を震わせながら笑いました。あの出来事から、20年以上経ち、ネットで「ベガはベガでもホクトベガ」と検索してみると、いっぱい出てきました。多くの方の記憶に残るインパクトのある実況だったのでしょう。

そんな私は卒業する時、営業所の皆さんに送別会をしてもらいました。

店長 「2年間よく頑張ったな」

店長も私と同じで、住み込みだったために食事や買い物など、一緒にいる時間が長かったので私が卒業して配達所にいなくなることは「寂しい」と言ってくれました。

専門学校に通う2年間一緒に暮らしてきたのです。そんな私に血は繋がっていないけれど家族のような兄弟のような特別な感情をもってくれたそうです。

なので社会にこれから出る私に大きな期待を込めて送る言葉をかけてくださいました。

「辛いことがあっても負けるな!お前が負けるということは期待した俺達が負けると言うことだから」

私は感謝の気持ちで心が熱くなりました。

そして私も最後のあいさつをしました。
「2年間、本当にいろんなことがありました。店長や、皆さんのことは一生忘れません。忘れられない思い出がたくさんありすぎます・・・」と。
その言葉の後に・・・
私 「店長覚えてますか?」
店長 「え?」
私 「ベガはベガでもホクトベガって?」
店長 「あっ?それを今言うか?」
私と店長 「はははは」
と笑顔で送別会は終わりました。その後で、一人になり心の中で店長の言葉をかみしめました。

「お前が負けると言うことは期待している俺達が負けると言うことだ」と言った店長。

私は「言われなくても負けないよ」と言う気持ちで、ぎゅっとこぶしを握りしめました。

自分の仕事を犠牲にするのは辛いけれど、たまには必要だと思う

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仕事がまだ残っているので帰りたくないと思うアルバイト

食品スーパーのおやじです。今までに多くのパートさん、アルバイトを見てきました。そこで気になっていることが一つあります。

パートさんとアルバイトは時間が来たら帰れるのですが、与えられた時間が終われば、任せられている仕事が途中でも割り切って帰れる人と、なかなかそれが出来ない人がいることです。

なかなか割り切れない人の中には勝手に残業をしようとする人もいます。もちろん、それは注意します。店では使える人件費に限りがあるからです。

しかし、「残業代はいらないから最後までやらせて下さい」と言われることもあります。

そう言われても、タダ働きは会社として大きな問題になるため受け入れることは出来ません。このことで大きなストレスを感じているパートさんから、休憩時間にこのようなことを言われました。

「私、時間を気にせずに働ける社員が羨ましいです」と。

人の立場がうらやましく思う心理

私は社員であるから、最低限やらねばならないことを終わらせないと帰ることが出来ません。その立場がパートさんには羨ましい様に見えるのです。

私は心の中で、「羨ましく見えるけれどやってみたら本当に大変だと思うのに」と思いました。私から見たら、時間が来たら帰れる立場は羨ましいのです。

しかし、パートさんにとって、それはストレスになるようです。理由は、自分がやっている仕事を終わらせてから帰りたいという気持ちがあるからです。

逆に私は時間がきたら帰れるパートさんを羨ましいと思います。

スーパーの仕事はその日によって忙しさが違い、思うように仕事が前にすすまないことが多くあります。それでもパートさんは、時間通りに終わることが出来るように、自分にプレッシャーをかけて頑張ってくれています。そこにストレスを感じるそうです。

逆に社員である私は時間がきても、仕事が終わってなければ帰れません。だから、私の気持ちでは、時間が来たら帰れる立場は羨ましいです。

しかし、パートさんから見たら仕事が終われるまで残れる立場は羨ましいとなるのです。ここに気持ちの違いが生じました。

一人になり考えてみました。私は、時間が来たら帰れる立場は羨ましい。  しかし、そこにストレスを感じる従業員が存在します。

責任感が強ければ強いほどそのストレスが大きくなるのです。今回は、そんなストレスからくるイライラをぶつけられたことをお話します。

アルバイトのA君の場合

うちの店には、勝手に残業をしようとするアルバイト君がいます。仮にA君とします。その日のA君はレジに入りっぱなしで、担当している仕事がなかなか出来なくてイライラしていました。

彼は分かりやすい性格です。  イライラしていたら顔に出ます。声に出ます。つまり、「あっ!こいつ怒っているな」とすぐに分かります。彼は完璧主義者で、明日出来ることも今日して帰らないと気がすまないのです。そこそこで、仕事を切り上げるということが嫌いなタイプです。

はっきり言って彼が今やりたいことは、私や他の従業員が後で、そこそこのレベルで仕上げて終わらせればいいことです。

時間を超えてまでも完璧にする必要はないのです。彼には何度も、何度も「きめられた時間で帰ってくれ」と言ってきました。

何度も考えが衝突しました。

その結果彼は、最近、サービス残業をしなくなりました。いい傾向だと思います。しかし、完璧主義者の彼にとって、そこそこで切り上げるのは大きなストレスです。

だから私は彼のストレスに一定の理解を示すことにしました。レジが忙しく、なかなか自分の仕事が出来なかった彼は、やっとレジから抜け出すことが出来ました。

やっと抜け出せたと言っても、すぐに混みあいその都度戻らなければいけません。そうなるとなかなか自分の仕事が前に進まないイライラした気持ちが大きくなります。

なので私は彼を助ける意味で「俺がレジに入るから自分の仕事をしといたらいいよ」と言いました。

しかし、彼は「あーーいいですよ。まだ、休憩も取ってないですからね」とふてくされた表情で言いました。

休憩に行かなかったのは彼の都合なのですが、まるで、そのストレスをぶつけるような声で言われました。なので私は「じゃあ、休憩に行ったらいいよ」と言いました。すると・・・

「これ終らせてからでいいですから」と彼は言いました。

私から見たら、彼が終わらせたい仕事は別に休憩後にしてもいい仕事です。しかし、彼には休憩をしてから、やろうとする考えはありませんでした。今、この仕事をやり切りたいと言う気持ちが強いのです。

彼は「もういいですよ」と言いましたが、彼のストレスに理解を示す形で、私は彼の代わりにレジに入りました。私がそうすることで、彼は自分の仕事に集中出来るからです。

ちなみに私は暇ではありません。

社員としてやるべきことは山ほどあります。しかし、彼のストレスに一定の理解を示したかったのです。しばらくしてレジに入っている私のところに彼は戻ってきました。

私に「すみません。もう大丈夫です」と言った彼。どうやら気がすんだようでした。  というよりも、自分の仕事を犠牲にしてでもレジを代わった私の気持ちを感じ取ってくれたのだと思います。

なぜそれが分かるかと言うと、それは彼が、先ほどとは違うスッキリとした表情を見せたからです。

自分が抱えている時間通りに出来ないというストレスに一定の理解を示した私に対する気持ちを理解してくれたような表情でした。そして私は思いました。

相手のストレスに一定の理解を示すことによって自分のストレスにも一定の理解を示してもらえると言うことを。