「トイレ行っていいですか?」という嘘で煙草を吸いに行った新入社員から学んだこと
どのラインで注意すべきなんだろう?
煙草を吸わない私の悩みでした。煙草を今まで吸ったことのない私は煙草を吸う人の気持ちが自分の事のように理解出来ず、その当時、頻繁に煙草休憩に行く入社したばかりの後輩君に頭を悩ましていました。
食品スーパーで働く社員である私達は、特に休憩時間というものが決められてなく、忙しい職場ならでは適度に隙を見て休憩をとるという状態でした。
つまり、自分でどのタイミングで休憩に行けるかを決められます。そんな中、後輩君はあきらかに煙草休憩にいく回数が多かったと思います。
しかし、煙草をまったく行くなと言えるものでもなく、どの程度で注意すべきなのか煙草を吸わない私は悩みました。
そんな私に後輩君は、さらに甘えるようになりました。後輩君に指示した仕事が終わり、次の仕事をあたえようとすると「あっその前に一服していいですか?」と言ってきました。
「あっ!その前に一服していいですか?」
この時私は「仕方がない」と言う気持ちで彼に煙草休憩に行かせました。
なぜ仕方がないと思ったのか?それは私が、煙草休憩をどこまで許していいのか判断出来なかったからです。
煙草は癖のもので我慢が出来ない人には吸わないと落ち着かなくなると言うことは知識として知っています。
なので、彼が私に「一服していいですか?」と言うことは彼が煙草を我慢できないからなのでしょう。
そうなると、その我慢できないものを「行くな」と言うのは横暴なのではないかと思ったのです。
例えばトイレを我慢している人に、「トイレに行くな」と言うことと似ているのか?喉が渇いて水分補給が必要な人に水分補給をさせないことと同じなのか?煙草を吸わない私はどう判断したらいいのか悩みました。
しかも、彼は頻繁に行くものの長い時間行くわけではありません。少しの時間でまた仕事に戻ってきます。
「行くな」と言いずらい気持ちがあった私は、「少しの時間ぐらいならいいかな?」という気持ちで、煙草休憩に行かせてあげました。そんなことが何度か続いたある日のことです。 ベテランのアルバイト君が苦言を呈してきました。
「あの人、煙草行きすぎですよ」
「あの人、煙草行きすぎですよ。注意しないんですか?」と。どうやらアルバイト君も後輩君に不満をもっていたようです。
うちの店には煙草を吸う従業員は何人もいてます。社員で吸う人はその人の判断のもとで行っています。
しかし、アルバイトやパートさんは決められた時間しか休憩にいくことは出来ません。
つまり休憩時間以外は我慢をしています。後輩君はあきらかに他の従業員に比べて煙草に行く回数が多いのです。
他の従業員が我慢出来ている中、彼だけに認めることは出来ません。私は、ここでやっと、後輩君に注意をしました。
「ちょっとは控えるべきだと思うよ」
「煙草は吸いにいってもいいよ。でも、今の〇〇君の立場は研修中の新入社員で、教えてもらう立場じゃないかな?私も大事な時間を使って教えてる。早く仕事を覚えてもらいたいから。行くなとは言わないけれど、ちょっとは控えるべきじゃないかな?」と。
私の話に、後輩君の顔が曇り空になりました。しかし、彼のためだから言いました。煙草を吸うアルバイトやパートさんは半日に1回か2回の休憩でしか煙草を吸えません。
それに比べて彼は行きすぎていました。やはりここは、みんなの気持ちを考えるべきでしょう。
さらに煙草を吸いに行くことをトイレに行くことや、水分補給をすることと同じように捉えることもないと思うようにしました。トイレは生理現象であるし、水分補給は脱水症状を防ぐためであるので、煙草に行くこととは別物です。
そんな私の考えに理解を示してくれた後輩君は、以前ほど頻繁に煙草休憩に行くことは少なくなりました。
とはいっても、さらに控えてほしい気持ちはあったのですが、少しでも改善が見られたので、それで良しとしました。
しかし、その後の彼は、驚くような行動に出ました。
ある日、アルバイト君に「熊さんは、あの人に完全に騙されてますよ」と言われました。
後輩君はレジに入っている時に時折ですが、「お腹が痛いのでトイレ行っていいですか?」と言ってくるようになりました。
生理現象だから仕方がないとその都度代わってあげてたのですが、アルバイト君によると、どうも煙草を吸っているのではないかと言うのです。
しかし、後輩君は2分ほどで戻ってきます。
これが5分ぐらい戻って来ないと「何かしてるかも?」と疑うのですが、ほんの少しの時間だけで戻ってきます。そのことをアルバイト君に言うと・・・
「疑わないから好き勝手にされるんですよ」と言われました。
「熊さんは人を疑わないから好き勝手にされるんですよ」とも言られ、それもそうだなと思いました。
後輩君はヘビースモーカーで月に2万円以上煙草に使っているそうです。月に2万も使うほど好きでたまらないのなら、ほんの短い時間でも我慢が出来ないのかも知れません。
さらにアルバイト君の話によると彼にも時折「トイレに行くから代わってほしい」と言ってきてたそうです。
しかし、トイレから帰ってきた後輩君から煙草の匂いがぷんぷんしてたので・・・
「トイレぐらいレジに入る前に済ませておいてください」
とキレ気味に言うと、アルバイト君には言ってこなくなったそうです。そして代わりに、疑うことのなさそうな私に「お腹が痛いから・・・」と言ってくるようになりました。
そこで私はアルバイト君とある作戦を立てました。ある日、いつものように後輩君が・・・・
「すみません。ちょっとお腹が痛くなってレジを代わってもらえますか?」
「すみません。ちょっとお腹が痛くなって、すぐに戻ってきますので、レジを代わってください」と言ってきました。
私は作戦通り、彼がトイレに向かった後、すぐにアルバイト君を呼び、アルバイト君にレジをしてもらい・・・早足で喫煙所に向かいました。すると・・・
「あっ!}
この時の後輩君の表情は今でも忘れられません。
煙草を吸っている後輩君。私の姿を見かけると、ハッと驚いた表情で煙草の火を消して、レジに戻ろうとしたので・・・
「イヤイヤちょっと、ちょっと・・・」と呼びとめました。
「どうして俺がここに見に来たか分かる?」
「えーーと・・・・・」困った表情をする後輩君。
「みんな見てない様で見てるんだよ」
「アルバイトは決められた時間までずっと煙草を我慢してるんだよ」
「それに対して社員が頻繁に煙草いってたら示しがつかないだろ?」
この時私は「ここまでして煙草を吸いたいものなのか?」と驚くと同時に、アルバイト君の「疑わないから好き勝手される」と言うのは本当なんだと思いました。
後輩君から学んだ教訓
「吸わないからといって関心を持たなかった自分も悪いよな」と思いました。
結果として後輩君は他店に異動になり、そこでも煙草休憩を頻繁に行って周囲から顰蹙を買ったそうです。
今はもう会社にはいない後輩君ですが私に大きな教訓を残してくれました。
あの時、私は自分が煙草を吸わないからと言って吸う人の気持ちを理解しようとしませんでした。
だからこそ、ここまで嘘をついて煙草にいきたいのか?と驚いたと同時に、もっと早い段階で注意すべきだと反省しました。
関心を持たなかったから、疑いませんでした。そして疑わなかったから好き勝手にされました。
職場には様々な個性が集まります。自分が休憩を惜しんで一生懸命にするタイプだからと言って他の人がそうと言うわけではありません。
私が彼から学んだ教訓は、自分がこうだからと、頭から相手を信用すると好き放題されることがあるということです。
言いたいことを言えない人は言える人に勇気を貰えばよい
セミナーそのものは楽しいが・・・
食品スーパーには様々な出入りのメーカーさんがいます。そのメーカーさんの付き合いというものがあり、私達は、時折、商品説明会などに招待されることがあります。
そして、会社からの指示で各店1名ずつ参加をすることが暗黙の了解のようになっています。
表向きは強制ではありません。しかし、ほぼ全店は空気を読んで参加をしています。そして、任意での参加のため、ほとんどの社員は公休を利用して参加をしています。
ちなみに、付き合いでの参加なので、顔を出したら、それほど長い時間いなくてもそこそこの時間(1時間か2時間ぐらい)で帰っても大丈夫です。
それに、ワインのセミナーならベロベロになるまで、普段買わないようなそこそこ高価なワインを試飲できたり、商品試食会では、美味しいものを食べて、お土産ももらえたりと行けば楽しい面もあります。
しかし、公休扱いなのはどうかな?と正直な気持ちはあります。
そんな商品説明会に、店長は部下である女性社員(私にとっては同僚)へ参加をお願いしました。すると彼女は、「当然出勤扱いなんでしょうね?それと交通費はきちんと出るんでしょうね?」と返しました。
店長はそのことで私に愚痴を言ってきました。「あんなことを言う社員は他の店にはいない。空気読めないんかな?」と。
ちなみに、結局彼女の意見が通り、半日の出勤扱いの交通費も小口から出すと言う形になりました。店長は「あんな奴。他の店に早く異動になってくれないかな?」と言ってたのですが私は心の中で思いました。
「あの個性は絶対に組織の中では必要だ」と。なぜなら・・・
遠慮の美学に心を支配されがちな私
「ちきしょー、でも店長には言いにくいよな」と遠慮をしてしまいます。
組織の中では上司に言いたいことを言える存在というものは貴重だと思うからです。今まで9回以上転職をしてきて思うことは、働く上での当然の権利をなんの遠慮もなく主張する人はどこの職場にも一定数いるものですが・・・
その絶対数が少ないのです。みんな嫌われたくありません。自分勝手な奴と思われたくないのでしょう。だから我慢するのです。だからブラック企業に骨をうずめる人が多いのでしょう。
嫌われる勇気と言うタイトルの本が人気になったそうですが、そう簡単にそんな勇気は手に入りません。ということは・・・
その勇気が手に入らないのなら、すでにその勇気を手に入れている人を大事にしたいと思います。
そしてそのおこぼれを頂戴したいと、まるでハイエナの様に狙っています。ここまで書くとどっちが自分勝手な奴か分からなくなってきます。
というよりもハイエナの様におこぼれを狙っている私の方が自分勝手な奴だと思ってきました(汗)
私は店長に対して大きな不満を抱えていました。それは、私の休みの日にいっぱい仕事を残してくれることです。
本人の目の前では言えないことですが、腹が立ちます。もちろん店長に対して私がしている仕事を全部してくれと言っている訳ではありません。
最低限これぐらいはと思うことが出来ていません。しかし、言いにくいのです。そんな気持ちを彼女に聞いて貰いました。すると・・・
「そこは遠慮せずに言うべきだと思うよ」
「そこは遠慮せずに言うべきだと思うよ」「だって、熊さんは休みなんでしょ?そしたら熊さんの代わりに店長がするのが当然でしょ?そらまぁ、何もかも全部をやれと言うのは無茶な話しだけど、これとこれはと言う最低限これだけはしておかないと次の日大変なことになる部分は言うのは当然でしょ?」
私 「でも、店長にそんな事言ったら嫌な顔されそうで?」
彼女 「いや、逆に言わなきゃ駄目。だって店のことを思って言っていることなんだから。それで嫌な顔するんだったら上司失格だし・・・」
私 「大丈夫ですかね?」
彼女 「もし、店長が嫌な顔してきたら私に言ってきてくれる?即、抗議するから」
結局その日は、店長は早番で帰っていたので、次の日にこれだけはしといてもらいたいことを書き置きをして帰りました。
「それぐらいは言ってもいい」・・・まぁ、確かにそうだよな
言うべきことに遠慮をするべきではないと背中を押された私
こんなことを言ったら嫌な顔をされるんじゃないか?という恐怖がある中でも、きちんと理にかなったこと。こう言う理由だからときちんと説明出来るのなら言うべきでしょう。
その意見が個人の自分勝手な意見ではなく、店のことを思っての意見なら遠慮をする必要はないと、心の中では分かっています。
しかし、遠慮の美学に支配された心が言うことにブレーキをかけます。そんな時は「そこは遠慮せずに言うべきだと思うよ」というシンプルな言葉が・・・
言うべきことを言えないと苦しんでいる人の背中を優しく置いてくれます。そして、この何気ない日常会話的な言葉が、とてもいい言葉だと感じてきました。
黙っていたら職場は良くならない
こんな事を言ったら上司に嫌な顔をされる。
確かに上司も人間なんだからそういうことも現実にあると思います。だからといって何でもかんでも言いたいことをこらえるのは問題があります。
同僚女性がメーカーの試食会への参加をお願いされた時、「もちろん出勤扱いでしょうね?交通費は出るんでしょうね?」と言ったのは労働者としての当然の権利です。
しかし、自分勝手な奴と思われたくなくて言えない人が多くいます。私の休みの日には最低限やってもらいたいことでも、「もしかしたら嫌な顔をするんじゃないか?」と思って言うのを我慢してしまうのです。
「それぐらいは言うべきだ」
自分もそう分かってはいるのですが、もう一つの心の感情である遠慮が邪魔をします。そういう時は・・・
一人で悩まずに誰かに相談するのです。
遠慮の美学に支配された心では自分の心の中で「言うべきだ。言うべきだ」と繰り返し言い聞かせても、自分の背中を押すのには力が足りないでしょう。
「それぐらいは言うべきだ」と自分一人で思っているよりも自分とは違う誰かに言ってもらう方が、より強く行動に移せるものです。
この記事を読まれている方の中には私と同じ言いたいことを言えずに苦しんでいる方がきっといると思います。
そんな方でも周囲を探せばきっと私の同僚のように言いたいことを言えるタイプの人がいると思います。私からのささやかなアドバイスは、そういう人は大事にしたほうがいいと思います。
言いたいことを言えない人は、言える人から勇気を分けてもらうことで救われるからです。
自分の器以上の仕事を抱え込む前に気付けなかったのか?
忙しい・・・でも頑張る分だけ活躍出来る(汗)
私の職場は食品スーパーです。この職場は学歴も過去の経験もさほど問われることなく、やる気さえあれば、ほとんどの人が活躍できる場所だと思います。
体が千切れそうな忙しさに耐えられる人は活躍出来るでしょう。
誰もが活躍しやすい世界では、スポーツや芸能界のように頑張っても、ほんのひと握りの人しか活躍出来ない世界と違って・・・
嫌と言うほど仕事は与えられるでしょう。
誰もが活躍しやすい場所であったとしても、自分が置かれた場所で頑張ることに人生の意義があると人は納得しがちですが、置かれた場所の現実を知った上で頑張らないと、その頑張りは、逆に自分を苦しめる結果になると知った出来事がありました。それは・・・
「僕はこの仕事大好きなんですよ」と言った男の話
随分前のことで、もう彼のことを、話題にする会社の仲間はいなくなりましたが、私は彼のことを忘れません。彼はある大手のスーパーで店長を経験したことのある男で、そのノウハウを引っ提げてうちに中途入社してきました。
とても仕事に対してガツガツしているという評判のはりきり君でした。そのはりきり君は入社してわずか1年ほどで店長を任され、しかも、その店の前年比の売り上げを大幅にUPさせ会社から注目をあびました。
特に会社が注目をしたのは彼の売り場作りのノウハウです。
センスがあるのはもちろんのこと、きちんと数字を分析して、他のスーパーの売り場も参考にしながらの理論立てられた彼の売り場作りはまさに、売れる売り場でした。
そんなはりきり君は店長であるにも関わらず、本部の上司から他の店にも「あなたのノウハウを教えてあげなさい」と言われ、売上が低迷している店を中心に他店を回ることになりました。
うちの店にもはりきり君は来て、売り場の改善を一緒にしてくれました。その時彼は私に・・・
「熊さんはこの仕事好きですか?」 と聞いてきました。
私は社交辞令で「好きですよ」と答えました。
すると彼に「あーー良かった。実は、僕はこの仕事が大好きなんですよ。やっぱり仕事というものは好きと言う気持ちから始めるのが一番だと僕は思うんですよね。だから熊さんがこの仕事を好きといったその気持ちは忘れないでくださいね」
と目を輝かせながら言われました。うちの会社は、あまりの忙しさにうんざりしている社員がほとんどの中で彼のはりきった言葉はとても新鮮に耳に入ってきました。
ところがその数ヵ月後、その当時の店長から、はりきり君が会社を辞めたことを聞かされました。原因はうつ病です。
「あいつ鬱病らしいですよ」
ビックリしました。あれほどやる気に満ち溢れていたハリキリ君が・・・???「僕はこの仕事が大好きなんです」と言っていた彼が・・・??理解に苦しみました。
店長の話によると、「あいつは可哀想な奴だ」ということでした。
どういうことかというと、自分の店の数字も維持しながら、本部から他店の改善も見るように言われて、それでもガツガツした姿勢を崩さなかったはりきり君はついに・・・
自分の器以上の仕事を抱え込みすぎて気がおかしくなったそうです。
退社する前の彼の表情を店長は見たそうですが、顔が死んでいるようだったそうです。そんなはりきり君に、私はある日、町で偶然に会いました。
久しぶりの再会に嬉しくなった私は・・・
私 「元気ですか?」
彼 「いや元気じゃないです」
私 「頑張って元気になってくださいね」
すると・・・
「僕の病気は頑張って治るものじゃないんですけど・・・」
うっかり、彼がうつ病だったってことを忘れていました(汗)精神的に参っている人に「がんばれ」はさらに精神的に追い込むそうです。久しぶりの再会に嬉しくなってついつい言ってしまいました・・・反省しています。
それはともかく、彼に今は何をしているのか聞くと「派遣の仕事をしている」と答えてくれました。「え?まじか?」と思いました。「もったいないだろ?」と思ったのです。
売れる売り場作りの能力があるのだから、正規雇用でどこかの小売業の会社にいったらいいのに?
と思いましたが、そこは突っ込まないでおきました。
そんな彼との再会を思い出し今思うことは・・・
頑張っても、そう簡単に活躍出来ない場所では、自分をアピールしても、そう簡単にチャンスはもらえません。なぜならみんながチャンスを欲しがっているからです。
しかし、だれでもそれなりに簡単に活躍出来る世界では、いくらでもチャンスが与えられることが多いでしょう。
なぜなら多くの同僚が仕事を抱え込み、「勘弁してよ」と心で泣いているからです。つまり自分の置かれた場所を考え、どの程度までの頑張りなら自分はつぶれないかを考えた方が良いでしょう。
野心をもつのは結構なことですが、心と体の健康が保たれた上でないと幸せになれないと気付かされた出来事でした。