ありがとう熊さん

食品スーパーのおやじが、生き方について辛いことも楽しいことも含めて、心を込めて書かせてもらいました。

約100年前のアメリカで生まれた「安全第一」の標語は最高の教えだと思います。

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寝不足で判断能力が鈍っているときに起こった不測の事態

昔の出来事を思い出しました。もう10年以上前の出来事です。私は、一国一城の主を夢見て居酒屋の師匠に、弟子入りしたことがあます。

毎日、毎日、ぼろくそに怒られました本当にボロカスでした。「お前は赤ちゃんか?」と責められたことがあります。これは状況を察知して動けない奴は赤ちゃんと同じという意味でした。

朝早くからの仕込み、夜遅くまでの営業、さらに閉店後の師匠からの説教に私は、気力、体力ともに限界でした。

そんな修業時代のある日、仕込みをしていたお昼頃。ちょうど焼き鳥の串打ちをしていたのですがこれが、とても眠たい作業でした。

串に肉を刺す。理屈は分からないけれど、不思議と催眠効果のある作業でした。そんな時に、店の外から

ガガガガガ・・・・

店の何かが壊れるような何かが落ちたような何かがぶつかったような大きな音でした。「ん?」と思いましたが、疲れがピークに達していて「まっいいか?」「それよりも作業を急がなきゃ」と考えてしまいました。対岸の火事だと思いました。

それでも眠たい目をこすりながら店のドアの方を見ると、ガラス越しにトラックがゆっくりと、まるでこちらの様子をうかがうかのごとく通り過ぎて行くのが見えました。

「はぁ~~眠い」
「はぁ~何だったんだろう」
「でも、どうせ大したことはないだろう」

疲れから体が重く、状況を軽く捉えたいという心理状況になっていました。しかし数分後、とりあえず何だったのか見に行くか?そう思い店の外にでると、驚きました。店のダクト(煙を店の外に出す煙突みたいなもの)が大きく壊れていたからです。

そこから真黒い油がボトボトボト~~~と流れ落ちていました。

これはとんでもない事です。あたりを見渡すと、近所の人らしい、おじさんとおばさんがこちらを見て何やら話をしていました。何かを知ってるかもしれない。そう思った私は近づいて・・・

「すみません。この時のことを見てました?」

するとおじさんは、店から20メートルほど離れた居酒屋の前に停まっているトラックを指差しました。

「多分、あのトラックやで。一旦逃げたけど、また戻ってきてあの居酒屋の前で荷物をおろしてるで」。どうやら、トラックは一旦逃げたのに配達の仕事があるからと、また戻ってきたのです。

私は「よしっ」と思い、トラックに近づき、運転手に声をかけました。

「あのう、すみません。店の外から凄い音がしてドア越しにトラックが通り過ぎるのが見えたんですけど」

ドライバーさんはビックリしたような表情をしました。私は「そこの○○の店の者ですが、そこ通りましたね?」と尋ねました。実は、話しかける前は、このトラックのドライバーさんが犯人だという確信はありませんでした。何故なら私が見たわけではないからです。

だから、探るような言葉をかけました。ドライバーさんは「え~~と、確かに通りましたけど、どうされました?」と、とぼけるような表情をしました。

さらに問い詰めました。「ダクトがぶつけられた位置と、そのトラックのキズの位置が同じに見えるんですけど」

ドライバーさんは、バツが悪そうに「そう言えば何かにぶつかった様な感じだったんですけど」と言いました。

もう間違いないと思った私は「そうですよね。ちょっと見に来てもらえますか?」と言ってドライバーさんに状況を見に来てもらいました。

それを見てドライバーさんは「申し訳ないです。こんなことになってるとは思いませんでした」と責任を認めました。ドライバーさんは、ぶつかった時からこうなっていたことを分かっているはずだと思います。

しかし、逃げたという事実を隠したかったのでしょう。警察を呼び、後は、相手の保険で補償されることになりました。

師匠から、「お手柄だったな」と褒められました。

ダクトの修理が終わるまで3日間、店は臨時休業になりました。それまで師匠は年中無休で働いていました。ここ数年で、休んだのは、親が亡くなった時だけだったそうです。臨時休業の3日間の間で、初めて店の従業員全員で飲みに行きました。

そこで、師匠は私に問題を投げかけました。

「お前、居酒屋を経営する上で、これをやったらお終いという2つのことを知ってるか?」

「え~~と、火事ですか?」

「ほ~~う、もう一つは?」

「食中毒ですか?」

たまたま答えられただけでした。しかし師匠は「お前、良く答えられたな。俺は昔、師匠から同じ質問をされて答えられなかった。お前、大した奴だな」と褒めてくれました。

その言葉を聞いて私は思いました。

問題に答えられたのは、たまたまの思いつきが当たったからです。 それと同じく 一度は逃げた犯人を捕まえることが出来たのもたまたま目撃者がいたからです。しかし・・・それは黙っておこうと(汗)。

この私の体験談で言いたかった事。それは仕事は「安全第一」を心がけなくてはいけないということです。安全第一という言葉は、1900年代の初頭にアメリカで生まれた標語です。実は安全第一に続きがあるのを知っているでしょうか?

このことは多くの人が知らないことでしょう。

私の職場のアルバイト、パートさんにも聞いたところ全員から「知らなかった」と言われました。

「安全第一」という言葉はあまりにも有名で、誰もが知っている言葉であるのに対して第二と第三があることを知っている人は意外と少ないように思います。

では、続きは何かと言うと「品質第二」「生産第三」です。この言葉が生まれたのは約100年前のアメリカ。この時代のアメリカは景気が悪く、その影響で多くの労働者が劣悪な環境の中で働いていました。その結果、多くの労働災害が発生していました。

その当時、世界有数の規模を誇っていた製鉄会社USスチールの社長はこの労働者が苦しむ姿に心を痛めていました。彼は熱心なキリスト教徒でもあったのです。そこで彼は当時の会社の経営方針である「生産第一」「品質第二」「安全第三」を見直しました、

そして誕生したのが「安全第一」「品質第二」「生産第三」です。

するとどうなったか?労働災害は減り、それどころか生産も品質も向上したのでした。それからこの「安全第一」という言葉がアメリカ全土、そして全世界に広まったのです。

日本でも、「納期は命よりも重い」という合言葉を掲げていた兵庫県の鉄鋼製造会社「パイテック」の上月工場で2013年、男性社員が金属ローラーに巻き込まれて死亡する事故がおきています。この時はインターネット上で、その会社の考えが、かなり物議をかもしました。

今回の私も、焼鳥の串打ちという作業を急がねばならないという意識が働いていました。開店までに準備を間に合わせないといけないという責任感からです。そこで、ガガガガ・・と凄い音が聞こえたにも関わらず、対岸の火事のように軽く捉えたい心理が生まれました。

安全を第一に考えていたらすぐに見に行ったはずです。一旦逃げたトラックが戻ってきたのは運が良かっただけです。

すぐに見に行けばその場でドライバーと話が出来たことです。そう思うと自分の行動に対して後悔が生まれました。

安全第一は忙しさと、疲労がピークになると、これほど忘れ去られやすい言葉はないと思います。やはり、常に意識すべき言葉だと思います。