「いつもやっています」は物事の良し悪しの判断基準にならない。
「この辺は適当でいいよ」
決して自慢が出来ない転職回数9回の私は今その職歴を振り返ると、ずいぶん忙しい会社ばかり選んできたと思います。
そこで思うことは、忙しい職場であればあるほど、または人件費をギリギリまで削減すればするほど・・・
「その辺は適当でいいよ」という妥協や甘えといった風土が出てくるものです。
私もずいぶん様々な先輩から本来あるべき仕事の形とは違う、「こうすれば早い」という妥協を含んだやり方を教わりました。
しかし、それが当たり前のようになると、本来あるべき仕事のあり方を忘れてしまう危険があるということに、ある出来事で気づきました。
朝の食品スーパーでの光景
あの時はいつも通り・・・そう、いつも通りでした。
朝の食品スーパーでこのような光景を見たことありますか?
私が勤める食品スーパーでは、少ない人員での開店準備が忙しく、納品も多いため、開店後に荷捌き途中の商品が段ボールに入ったまま売り場に置かれた状態になっていることが多々あります。
本来お客様を気持ちよくお迎えするため、このようなことはいけないことですが、ギリギリまで人件費を削られた店では泣く泣くそうしていることがあります。
心優しいお客様は何も言わずに、お買い物をされますが・・・、
ある日のこと「どういうつもりなんだよ」と年配の男性客からクレームが入りました。
「お前のところは買い物の邪魔をしてるのか?」
「えっ!どういうつもりなんだよ?」
この時に対応した後輩君は、最初に謝ったものの、お客様からの『どういうつもりなんだよ』に対してこう答えました。
「いつもこうしているんですけど」
一応、「申し訳ございません」の言葉はあったのですが、この「いつもこうしてるんですけど」という言葉がお客様の怒りに火をつけました。
「お前、喧嘩売ってるのか?」
「じゃあお前のところはいつも客の買い物を邪魔してるんか?」
大きな声で怒鳴るお客様にようやく私は気づき、後輩君と一緒にひたすら頭を下げ、「今後は気を付けます」ということで許しをいただきました。
その後、事務所で後輩君に「あればまずいだろ?」と言うと・・・
「ずっとそうしてきたじゃないですか?」
後輩君は納得がいかなかったようです。
お客様に謝ったのに、「何を考えてそんなことをしてるんだよ?」と聞かれたから正直に答えただけということです。
もしあの時に非を認めたら今までしてきたことが出来なくなると思ったそうです。、
確かに気持ちは分かります。忙しい会社にありがちの、ギリギリの人員の中での妥協点。本来そうすべきではないことではあるものの、時間などの都合上でしていることはあります。
それを見て見ぬふりしてくれるお客様がほとんどです。
しかし、それは今まで言われなかった。怒られなかったというだけです。
いつも通り、それは本当に正しいことなんでしょうか?いつもそうしているからという気持ちが、お客様目線でなく従業員目線になってしまいます。
後輩君は、私の話で一応は納得した顔を見せてくれたのですが、心ではどう思っているのかは分かりません。きっと悔しかったに違いないと思います。
なぜなら、ずっとそうしてきたのですから。
本来あるべき仕事の形を知っておく。
では、このような悲劇は防げなかったのか?
そう悔やんでならない出来事です。私もずいぶん様々な先輩方から「こうすれば早い」という妥協を含んだ仕事のやり方を教わりましたが、親切な先輩は必ず・・・
「でも、本来の正しいやり方はこうなんだよ。絶対にそれを忘れるな」
と教えてくれました。今ではとても感謝をしています。本来それは先輩が後輩に教えるべきことなのですが、なかなかそう親切に一から十まで教えてくれる先輩が少ないのも現状です。
ならば、疑うという姿勢も大切でしょう。
どう疑うのか?それは自分がお客様の立場、つまり第三者の立場になってその仕事のやり方を客観的に見つめるのです。
そうすれば「いつもそうしています」の言葉がいかに「私はいつもお客様のことを考えずに行動しています」に捉えられてしまうことが分かります。
今回私が一番お伝えしたいことは・・・
「いつもやってます」は物事の良し悪しの判断基準にならないのです。