「理屈で考えるのではなく魂で考えろ」という宇宙セミナーにご注意ください。
宇宙から幸せの流れに乗りましょうと発信する宇宙セミナーの先生がいる。
「世の中は、魂で考えるタイプと頭で考えるタイプの二種類に分けられます」と言う先生の意図は客のためではなく自分のためだ。
宇宙と繋がり幸せになるというメソッドを理屈で考えるのではなく、魂で考えて受け取ってもらいたいがためだ。
もちろん受けとるには先生の本を買うかセミナーに参加しなくてはいけない。
また、先生は魂の声に素直になり自由に行動をすることを提唱している。
そこで邪魔になるのが罪悪感だ。
「罪悪感を多く持っている人は罪悪感があるために自由に行動できずに我慢をしている。だから罪悪感がなく自由に生きている人に腹を立てて批判をする」と先生は言う。
しかし、周囲を犠牲にしても自分の快楽を追求する人間の成れの果ては人の心を持たない犯罪者であり、社会から抹殺される運命に陥るだろう。
宇宙セミナーの先生は金運の話が好きだ。
「なかなか金運が上がらない人からは焦りや不安の波動が出ていて、その波動が病気や不幸な出来事を引き寄せます」
「では、どうすればその波動を変えることが出来るのでしょうか?その第一歩が今回ご紹介するセミナーです」
と、不安のないところに不安を作り出し集客する手口にご注意してもらいたい。
宇宙セミナーの話に多くの女性が心を奪われるのは、おとぎ話に似ているからだ。
おとぎ話に説得力を感じるのは、理屈やデータによって答えを押し付けるものではなく、何かしらの人生に大切なことが書かれていると読み手に想像させられるからだ。
答えを押し付けるか想像させるかの違いである。
成功という人参をぶら下げて高額な商材を売りつけるのも宇宙セミナーの特徴だ。
しかし、批判も集まってくる。
「成功者になるためのDVDを20万円で売っているのはぼったくりだ」という声に先生は「10年かけて沢山の本を買い、セミナーに参加して集めたノウハウを制作費600万円かけて作ったDVDだ」と反論している。
しかし、本屋で千円程度で売られている本も著者が長年かけて集めてきたノウハウの集大成であるものだ。
宇宙に愛されれば、それで幸せになれるという先生。
「いいことはいつまでも続かないは間違いで、いいことはいつまでも続く」と先生はどや顔するが「いつまでも続かない」も「いつまでも続く」もどちらも固定観念だ。世の中は常ではなく無常である。
「宇宙はあなたの人生の流れを調整しています。あなたが人生に自信を持っていないと、宇宙が最高のタイミングであなたが一番望んでいるものを下ろそうとしているのに『この人には受けとれる自信がないんだな』と次の機会にされてしまいます」と言って自分の教えを受け取らせる宇宙詐欺師にご注意してもらいたい。
「最近、何となく疲れていませんか?原因が分からないモヤモヤとした疲れは、宇宙があなたの本当に求めているものを下ろそうとしているのに、今のそこそこを手放す覚悟が足りないため魂が反発しているからです」と、先生が言う覚悟は怪しい宇宙セミナーに参加してもらうための覚悟なのでご注意してもらいたい。
「牛乳」の前に「〇〇牧場の」がつけられて「〇〇牧場の牛乳」という商品名になり、なおかつ少しお高いものは、いかにも普通の牛乳よりもワンランク上に思って買ってしまうが、悲しいことに○○牧場が普通の牧場なのか、すごい牧場なのか分からないことだ。
宇宙セミナーもそれと同じで、いや、それ以上にやっかいなのは宇宙規模であることを謳っていることだ。〇〇牧場の比ではない。
宇宙はあたなに人生を楽しんでもらいたいと思っているのですとカモを高揚させるのが大好きな先生。
「不倫したら悲しい結果になる。欲望のままに食べたら病気になる。使いたいだけ金を使うと月末困ると言って我慢する人がいるが、今やらなくて、いつ楽しむの?いつ味わうの?いつ受けとるの?」と煽る先生がいるが、それはカモを高揚させて集客するためだ。
「頑張った先にご褒美があるというのは子供のころから刷り込まれた固定観念で餌付けされた動物と同じです。私たちは何の価値がなくても何の役にもたっていなくても生きているだけでご褒美がもらえるのです」という先生の教えは、生きているだけで怠惰に過ごしたいタイプの人を落ちぶれさせる危険性がある。
宇宙セミナーの先生は宇宙から宇宙規模のメッセージを受け取ってはいない。
これは断言できる。先生が魂で考えたのではなく、カモを高揚させて自分を教祖にしたてるために頭の中で必死に考えた教えなのだ。
道徳観やモラルという固定観念が悩みの原因になっていると発信することについて
みんなが安心して生活出来るようにと長い年月をかけて作られたモラルや道徳観.
しかし、それを否定することで、自分の方法論を目立たせ集客をしようとする人たちがいる。
いわゆる既存の道徳観と言う概念を覆すと言った内容の発信だ。
「〇〇してはいけないというのは固定観念です」
「その固定観念が悩みの原因になっています」
と言う内容だ。
なぜこのような発信をするのだろう?
その先生の意図は誰もが持っている道徳観による行動の制限を悩みの原因にすることで今までにない悩みを消す方法だと思わせて集客したいのだ。
先生は、甘い言葉で私たちを誘惑してくる。
「欲しい気持ちは素直に口に出そう」
「それが自分の気持ちを大事にすることに繋がり幸せになれる」
と先生は言うが、相手の気持ちを大事に考えず「あなたの心が欲しい」と言うと相手も自分も傷付くだろう。
欲しい気持ちを素直に口に出すことが幸せにつながるのならストーカーは存在しない。
欲しい気持ちを素直にぶつけたほうが幸せになれると言う先生の教えを例えば営業マンが実行したらどうなるだろう?
「契約が欲しいので契約下さい」と。もし僕が客なら欲しがるだけで与えることを考えない営業には契約しないだろう。
自分の気持ちが第一で顧客の得を考えない気持ちが透けて見えるからだ。
また、先生は「嫌われる勇気を持とう」という言葉が好きだ。
あのベストセラー本の内容に影響を受けたのかもしれない。
しかし、嫌われて不幸になる人もいる。そういう人を先生は救うことがs出来ない。
「どうせ私は嫌われているから嫌われようとバンジーすると幸せの海にダイブ出来る」という先生の妄言を信じて居場所をなくしたカモに先生は「おめでとう、あなたがいるべきではなかった場所から解放され、新しい場所に出発出来るね🎵」ときれい事を言うだけで新しい場所はカモ自身が探さなければいけない。
また、「職場で叱られたら『馬鹿にするな』とキレましょう。職場で自分ばかり損な役割が回ってきたら不機嫌になりましょう」とアドバイスする先生がいる。
それが自由にになれる道だと言うが、駄々をこねる子供時代に逆戻りする道だ。
幸せになれる方法論というのは、様々なものがあり正解が分かりにくい。
そこに面白さが存在するから、この手の先生が出てくるのだろう。
例えば、釣り方の正解が分かりやすい魚より、釣り方の正解が分かりにくい魚のほうが釣りのターゲットとしての人気が高い。
釣り人それぞれが自分なりの正解を探っているからだ。
幸せになれる方法論も人それぞれが自分なりの正解を持っているように思う。
うまくいく方法論は本物よりも偽物のほうが読んでいて面白い。
本物は「それもそうだな」と一言で終わらせられるが偽物は「嘘だろ❓」「マジか?」「目から鱗が落ちた」と驚きの声で迎えられる。
それを利用する詐欺師が暗躍する世界が、うまくいく方法論業界だ。
しかし、多くの人を甘い言葉で引き付けようとするその内容に苦言を呈すものも多く出てくるものだ。
そういう時、先生はこのように反論する。
「そのまんまの考えでうまく行ってないくせに私の教えを批判する資格はない」と。
先生はこう言ってどや顔でいるが、そのまんまの考えから先生の考えに乗り換えても成功から遠ざかるからやらないということだ。
そこに気付かない鈍感な先生。
相手のことを考えず自分だけのことを考える先生の幸せ論。
規模が拡大するにつれ、その都合の良い考えはどんどん膨らんでいっている。
「人に助けられる人と、人を助ける人は半々でバランスがとれている」と発信するようになった。
確かに一理あるなとは思う。そのこと自体は良いが、問題はだからこそ「駄目な自分のままで助けられる人」になろうと煽ることに勘違いの悲劇が生まれる。
一人の人間の中にも助けられる部分と助ける部分があることを忘れてはいけない。
「彼が冷たい」
「一緒にいてくれない」
「文句ばかり言う」
「わがままばかり言う」
そんな女性の悩みに、「それは愛情が形をかえただけで愛はあるんだよ」と言って救った気でいる先生がいる。
愛という奇麗な言葉の表現に惑わされてはいけない。
愛が形を変えたとしても嫌な形になることもあるからだ。
なぜ、先生はこのような奇をてらった発信をするのだろう?
先生は、ある意味で自信があるのかもしれない。
このまま同じことをしていても上手く行かないと判断して今までと逆の発想でやってみたら上手く行ったという経験は誰にでもあるだろう。
たまたま上手く行ったことで再現性の低いことかも知れないのに、そういうことのほうが記憶に深く刻まれ〇〇の法則と名前をつけて誰かに聞いてもらいたくなるものだ。
しかし、そんな先生でも、最近の批判に若干ダメージが蓄積されてきたのだろうか?
その発信が若干マイルドになりつつある。
「助けてと言わないのが不幸の原因です」と言いきっていた先生が、最近は補足説明で、「ただし、助けてと言っても助けられるとは限らない」と言うようになった。
批判をかわすための賢明な選択だ。補足説明をいれることで、常識を覆す的な毒はマイルドになるからだ。
とにかく先生は道徳観やモラルと言ったものを覆すと言って注目を浴びようとしている。
「快楽をタブー視するのではなく、罪悪感のブレーキを外すと本当に求めているものが見えます。さあ罪悪感の扉を開きましょう」とどや顔で発信している。
そんな考えは性犯罪者には聞かせられない教えだね。
そんな道徳観やモラルの壁を取り払うという先生は、この教えこそが、本当の自分を見つける方法だと言っている。
しかし、そんな先生のセミナーを受けると、先生にとって都合のいいあなたが見つけられるだろう。
お金がないから受講できませんは言い訳にされて本当の自分に素直になりなさいと強制受講させられる。
先生をこれ以上もうけさせてはいけない。
私たちの先輩方が長年かけて育んできた道徳観やモラルは大事にしてもらいたいものだ。
暗記力のいらない学びって気持ちがいいよね?
今ぼくはある資格の勉強をしている。
こんなことを覚えて何の役に立つのだろうかと一種の苦行のように感じている。
しかしこの苦行を乗り越えると毎月資格手当てという名の不労所得ぽいものが入って来るのだ。
それにしても、専門知識を暗記していくのはとっても辛い。
そんなとき、「こんなことをしなくても、もっと楽に学べるものはないかな?」と思ってしまう。
そんな時に、ネット上では様々な誘惑がちりばめられているように感じてしまう。
今日もこんなメールが来た。ノウハウや屋さんからだ。
迷惑メールだけれど、何度配信停止をしても配信停止できていないから諦めた業者からのメールだ。
「熊さま、おめでとうございます。特別講座にご招待いたします」と、
しかもメールを開く前の題名は「熊さま、おめでとうございます」しか見えなかった。ひたすら残念なお知らせだ。
その内容は、企業研修なら400万円チャージしないと得られない世界最先端の先生からのノウハウが今なら無料で受け取れるそうだ。
ページが閉じられるまでに急いで受け取って下さいと書いてあるが、それが本当なら400万円チャージした会社からクレームが来るだろう。
本当にバカバカしい。
それにしても「起業塾に行って全然稼げなかったことを記事に書いたらアクセス上がって驚いた」と読者の方からコメントがあったことがあるが、やはり皆が知りたいのは真実だ。。
いろんなカウンセリング受けたのに、自己啓発や心のセミナーたくさん受けたのに、でも一向に状況は変わりませんという悩みを先生にぶつけても無駄だろう。
ウンセリングやセミナーにお金を使うのをやめましょうというアドバイスは商売上しないからだ。
結婚したいけれど、なかなか出来ない人がいる。
そういう人が占い師やカウンセラーに「どうして私は結婚出来ないのでしょうか❓」と相談しても「出来ないのではなく、出来ないと思い込んでいるだけ」という当たり前な回答しかもらえない。
そこに金を使うぐらいなら結婚相談所に使った方がましだ。
大体、ノウハウ屋さんが提供してくるメソッドと言うものはその程度のものだ。
ノウハウ屋さんが提供するお金を稼ぐ方法論は「心構え」を学ぶことにすぎない。
しかも、最近の彼らが提供する「心構え」はより一層、カモを高揚させたいがために奇をてらった言葉で困惑させようとしているように思える。
「得をしようとすると損をする」
「幸せを追いかけると不幸に追いかけられる」
「短所をなくそうとすると長所もなくなる」
など先生は言葉遊びが好きだ。
これは「何かしらの人生の真理を語っているのだ」とこちらから歩み寄らなければ理解不能で不安になるという心理を利用した信者集めにすぎない。
人生論を学びたい時に注意したいのは刺激を求めすぎないことだ。
刺激を求めすぎると、スパイスと同じでもっと強い刺激が欲しくなる。
そして奇をてらった怪しい教えに心を奪われていくのだ。
しかし、奇をてらった言葉選びであるにもかかわらず、多くの人がそれを学びたがるのか?
それは学ぶのが楽だからだろう。
仕事に直結する専門知識を身に付けるには辛い勉強が必要だ。
しかし「豊かさの波に乗ろう」「お金を愛して愛されよう」というのは、英語を暗記するような辛さがない。
専門知識と違い暗記力は要らないが、それは学びではなく綺麗て前向きな言葉に酔わされているだけだ。