今話題の内容のないコミュニケーションを分かりやすく4コマ漫画にしてみた。
先日、はてなブックマーク人気エントリーで気になる記事を見つけました。
シロクマさんの記事です。
1323users(5月10日21時時点)のとても大きな反響のあったものです。
題名の通り、内容の無いコミュニケーションの大事さを説いたものですね。
とても、なるほどと思わせる内容だったのですが、内容の無いコミュニケーションというものについての具体的な例についてはさらっとしか紹介されていません。
具体例よりも、その重要性に重きを置いたと思われる内容です。
内容の無いコミュニケーションの定義は?
そもそも、内容の無いコミュニケーションの定義をどこに置くかは人それぞれでしょう。
この記事に書かれているように、「おはようございます」「お疲れ様です」も人によっては内容が無いと認識されることもあるし、いや、それはとても重要な内容を含むものだという考えもあります。
さらに、女子高生にありがちな、なんでも「可愛い~」や「うざい」などで済ませる会話も人によっては内容が無いと思われることもあれば、内容があると思われることもあります。
つまり、私が気になったのは、内容の無いコミュニケーションと言うのはあまりにも幅が広く、どのラインから内容がないということになるのかが分かりずらいと思った訳です。
コミュ障の気持ちも分かってほしい。
それで、コメントを見るとね。案の定、「内容のないコミュニケーションが苦手な人の気持ちも分かってほしい」と言ったふしのことが多く寄せられているんです。
それはとても大事なことだという共感もあれば、コミュ障の人の気持ちも考えてほしいという賛否両論が入り乱れているんです。
内容の無いコミュニケーションがあまりにも幅が広いため、読む人それぞれで受け止め方が違うんですよね。
大抵の方は、ご自分が過去に経験した内容の無いコミュニケーションを思い出し、それについて考えて、読まれたのではないでしょうか?
それで、私はどうなのか?
私は、はっきり言って内容の無いコミュニケーションが苦手です。すごく疲れます。相手に合わすということで神経を消耗してしまいます。
でも、9回以上転職をしてきた私が思うこと。それは、どこの職場にも一定数は内容の無いコミュニケーションが好きな人が存在するということです。
無視したくても無視できないんですね。
私が考える内容の無いコミュニケーションの定義とは?
シロクマさんの記事に、「コミュ障の気持ちを分かってほしい」というコメントが寄せられているのは、相手を困らせる内容のないコミュニケーションのことを指しているのでしょう。
「おはようございます」と言った挨拶には多くの人は困らないでしょう。
「いいお天気ですね」のたわいのない会話にも、「そうですよね」で済むので困らないと思います。
「わ~可愛い~」と動物を見て感情を表現するのも、たいして困らないと思います。
では、私も含め、内容が無いコミュニケーションは苦手と言う人は、何をもって苦手と言うのでしょうか?
その答えを私なりに4コマ漫画で表現しました。
他店の社員が私の店に遊びに来た時の話です。
食品スーパーに勤めている私。同じ社員で他店に勤めている、内容の無いコミュニケーションが好きな人がおります。
その彼が私のいてる店に遊びに来た時の話です。
おそらく、こういったことが、私も含め、敬遠しがちな内容の無いコミュニケーションなのではないでしょうか?
それでは・・・・レッツゴー。
まったくもって内容の無いコミュニケーションですね。
「なんてことだ~」の中身が知らされていません。ただ、想像出来ることは、彼は彼なりに他店でいろいろなストレスがあるのでしょう。
それを全てひっくるめた上での「なんということだ~」なのです。
では内容はないけど、意味はあるのか?
これについて説明すると、犬の遠吠えに似ていると思います。1匹が「ワオ~~ン」と吠え、それにつられてもう1匹が「ワオ~~ン」と吠えるあれです。
お互いに吠え合うことで、気持ちをシンクロさせているのです。犬は犬なりに意味のあるコミュニケーションをしているのです。
では、人間の場合はどうなのか?もう1歩考えを進めると、こういったことがあります。
相手に、「武勇伝、武勇伝、武勇」と振られれば思わず「でんでんででんでん、レッツゴー」と答えてしまうあれです。
ひと昔前でしたら、「なんでだろ~~う、なんでだろ~~う」と振られて、思わず「ななななんでだろ~~う」と答えてしまうあれです。
こういうのが苦手な私が思うこと
私は、こういった内容の無いコミュニケーションを自分から仕掛けることはありません。
自分がされて、困ることは相手にしない主義ですから。しかし、相手から仕掛けられると自分の出来る範囲でのるようにはしています。
10年前、20年前の自分を思い出すと、こういったことを毛嫌いして、冷めた態度を取ったこともありましたが、今では一定の理解も必要かなという考えに変わってきています。
どこの職場でも見かけるタイプで、どこへ行こうとも逃れられないようなことだと思うからです。
さらに、年を重ねて、そういったものに耐性が出来てきたのでしょう。なんとかのれるようにはなってきました。
ちなみに私は、カラオケの手拍子は苦手です。20年前友人と良く行っていたときは割とすんなり出来ていたことを思うと、こういったノリと言うものは慣れが必要だと思います。
そして、まだ私は苦手と言ってもましな方でしょう。本当に苦手な人は、「なんということだ~」とはしゃぐ彼を前に呆然と立ち尽くしてしまうでしょう。
かつての私と同じように。
なので、ここでいうところの内容の無いコミュニケーションというのは「おはようございます」の挨拶でもなければ「いい天気ですね」のたわいもない会話でもありません。
ずばり、慣れていない人を困らせることです。「イエ~~イ」と言われれば「イエ~~イ」と返せない。そこに恥ずかしさや、ためらいが生まれることです。」
最後に
私がシロクマさんの記事で大きくうなずける点があります。それは慣れた方が良いということです。
「もう勘弁してほしい」とこの手のタイプの人に出会うたびに思ってきた私。ですが、現実に逃げるわけにもいかないんですね。
孤立もしたくない。でも相手もしたくない。やっかいな問題だとずっと私も悩んできました。
しかし、カラオケの掛け声とか手拍子みたいに、ノリのような気持ちでなんとか少しは慣れてきたかなと思うんです。
で、昔と現在を比べると、慣れが生まれてきた現在の方が人間関係に強くなっていると思うんですね。
学生時代から何のためらいもなく出来る人と比べると、本当に辛いと思います。でも、辛いことを知っている分、彼らより苦手な人への配慮は出来ると思います。
そして、慣れるのは少しずつでいいと思います。私も20年かけて慣れてきたんですからね。
最後までお読みいただきありがとうございます。