ありがとう熊さん

食品スーパーのおやじが、生き方について辛いことも楽しいことも含めて、心を込めて書かせてもらいました。

自分を大きく見せようとする口調は逆に自分を小さく見せる

若いころの私は、年下に対して自分が年上だというプライドを大きくもっていた。それが少しでも傷付けられると腹が立って仕方がなかった。20代前半の頃、サラリーマンから職人の世界に転職した。サラリーマンの世界よりも、職人の世界の方が、口の悪い人が多いと思った。そこで、なめられないようにするにはどうしたらいいか?自分なりに考えた。
職人の世界は仕事の腕が評価を大きく左右する。腕を磨けば、みんなから認められて誰からもなめられなくなる。しかし、職人の仕事は見て盗めと言われていて、丁寧に教えてはもらえない。見て盗むというのは要領の悪い私には結構難しかった。だから、なかなか仕事が覚えらなかった。そんな中、要領のいい同僚や後輩たちは、どんどん仕事を覚えて重要な仕事を任されるようになった。
いつまでも重要な仕事を任せてもらえない私に彼らは馬鹿にするような態度をとった。上から目線の話し方をするようになった。年上の人から言われるのはまだ納得出来たのだが、年下にも言われるようになり、プライドだけは一人前の私は腹が立って仕方がなかった。「年下のくせに偉そうにするな」と怒鳴りつけたくなったが、職人の世界では仕事の腕が評価を大きく左右する。仕事の腕では彼らに遅れを取っているのは事実としてある。だから、怒鳴りつけたい気持ちを我慢するしかなかった。
しかし、これは辛かった。仕事で負けてても年は私の方が上だ。年上として見てもらいたい。その辛い気持ちを態度で表わすようになった。わざと険しい表情を作ってみたり、偉そうな口調で話しをしてみたりした。しかし状況は一向に変わらなかった。
そんな私を見るに見かねて先輩がアドバイスをしてくれた。「年上として見てもらいたかったら年上としての余裕を見せなければいけないよ」私は、余裕を見せろと言ってもどう見せたらいいんだ?と心の中で反発した。私の不満は全然解消出来なかった。そんなある日、年下の職人から上から目線で指図された私は、とうとう我慢出来なくなり「なんだ、その言葉使いは?」と言った。相手は「仕事も出来ないくせに文句を言うな」と言った。「だからと言って、年下のお前が年上の俺に偉そうにものを言うことはないだろ?」と私は返した。大きな口論になった。
そんな私たち二人の間に先輩が割って入ってくれた。「お前ら、喧嘩は仕事場でするな」二人とも先輩に叱られた。その後、私は先輩に別の場所に連れて行かれ、説教された。「お前がやってることは年上として一番恥ずかしいことだ。年下に仕事で負けて、偉そうにされて腹が立ったんだろ?気持ちは分かるよ。でも、そんなことに文句を言ってたら自分の価値をさらに下げることになるだろ?それに、お前は仕事で差を付けられた年下に対して、わざと偉そうな口調や、ふてぶてしい態度を取っているだろ?そうすることでしか、悔しさを解消できないんだろ?それって焦ってるみたいで恥ずかしくないか?普通に堂々としてる方がよっぽど年上らしくないか?」先輩に見事に自分の心の中を当てられた。
年下が自分のことを年上として見てくれない。それに我慢出来なかった私は偉そうにすることで自分を大きく見せようとしていた。しかし、結果は自分を小さく見せることになっていた。

頑張っても早く帰れない状況は早く終わらせようとする気持ちを失わせる

「壊し屋」の異名を持つ上司の下で働いたことがある。あまりにも多くの指示を出され、毎日が大残業になった。
ある日、私の後輩社員が、上司に明日しても良さそうなことを、「明日でもいいですか?」と聞いたことがある。その時上司は、いきなり声を荒げて、「オイ!そんなに早く帰りたいのか?」「仕事をなめてるのか?」と言った。後輩社員は上司の迫力に負けてしまい、「いえ、そんなことはありません」と返事をして大残業になった。   
 上司はなぜ壊し屋と異名を持っていたのか?その理由はずばり、部下が担当している仕事を後回しにさせ、次から次に膨大な量の仕事を与え、大残業をさせるからだった。
また、上司は私たち社員だけでなくアルバイトにも容赦なく、「次はこれやって、それからこれをやって」と、とてもシフト通りでは終わらないほどの無茶ぶりをしていた。
アルバイトが日常業務をしていると、「そんなのは後でいいから先にこれをやってくれるか?」と日常業務から外すのだ。その指示の多くは時間に余裕のある時にするような仕事だった。
上司が後回しにさせる日常業務は、基本的にその日にやって帰らなければいけない業務だった。アルバイトがそれをしなければ誰がするのか?それは社員である私たちになるのだ。それで業績が上がって使える人件費が増えるのならまだいいのだが、業績が上がらない上に手が回らない状況に陥ったのだ。
私が思うには、基本的な日常業務がおろそかになっているから業績が上がらないのだ。しかし、上司にはなかなか言えない雰囲気があった。部下の意見には聞く耳を持っていない威圧的なタイプだったからだ。
これにはみんな大きなストレスを感じるようになった。みんなにはそれぞれ担当する仕事が与えられていた。その人しか手を出さない仕事だった。しかし、それを後回しにさせられるのだ。そんな状況に耐えられることが出来ずに一人の後輩社員が辞めることになった。  
彼と最後に話したことはとても印象に残っている。
「どんなに頑張っても早く帰れないですね」と最後にぶっちゃけた話をしてくれたのだ。毎日、「次はこれ」「次はこれ」と無茶ぶりをさせられたある日、彼はプッツンしたそうだ。しかし、上司に直接怒りをぶつけることはしなかったのだ。表向きは従順に上司の指示に従っているように見せて裏では楽をしようとするようになった。
どのように楽をしようとしたのか?その内の一つを教えてくれた。彼は、定時後にわざと目立つような仕事を一つ残しておくようになったそうだ。するとその目立つ仕事というのは上司も、「さすがにこれはやって帰らなければいけないな」と思う仕事なので無茶ぶりが弱まったそうだ。
その仕事というのは、壊し屋上司が異動してくる前は、早く終らせて早く帰ろうという気持ちで、残すことなんて絶対にしなかった仕事だった。頑張ってもどうせ早く帰れないという気持ちがそうさせてしまったのだ。頑張ったら報われる。そんな気持ちがない時になかなか力が出るものではない。結局、頑張っても早く帰れない状況は生産性が落ちるものなのだ。

転職を繰り返しても自分にちょうどいい忙しさの職場には出会えない

その日はとっても忙しかった。一人のアルバイトが私に「目が回るほど忙しいですね。こんなに忙しいのが毎日続いたら死んじゃうかも知れません」と言った。「死んじゃうかも?」というのはもちろん冗談だと思うが、その言葉にぷっと笑ってしまった。確かに私も忙しすぎる時は「死んじゃうかも?」と思う時があるからだ。
テレビとかで過労死のニュースを見る時がある。あまりにも度が過ぎた忙しさは人を死に追いやる。忙しすぎるのは危険だ。忙しい時ほど暇のありがたさを感じる。しかし忙しい仕事を選んだのは自分だ。なぜ忙しい仕事を選んだのか?私の場合、安心して家族を養いたかったからだ。
今の職場である食品スーパーで働く前は焼き鳥屋を経営していた。駅から離れた静かな場所で、お客様はほとんど来なかった。赤字が何カ月も続いた。暇で店の中のテレビを眺めて時間をつぶした。暇なので体は楽だった。しかし将来の不安で頭の中がいっぱいになった。このまま赤字が続けば貯金が底をつく。そうなれば家族を養うことが出来ない。忙しくても生きていける方がいい。そう思い焼き鳥屋を辞めた。
辞めた後、求人雑誌を見た。出来るだけ忙しい仕事がいいと思った。何故なら暇な仕事で不安を抱えるのはもう嫌だと思ったからだ。そこで見つけたのが食品スーパーの仕事だった。スーパーは毎日多くのお客さんが来店する。レジ打ち、商品の補充、倉庫整理、やることはいっぱいあるはずだ。暇を持て余すことはないはずだ。
早速入社を決めた。想像通り、やる仕事が多く、日々の仕事に追われる毎日だった。想像はしていたが毎日毎日、仕事に追われる状態にうんざりしてきた。あれほど暇な仕事は嫌だと思っていたのに、いざ忙しい仕事に着くと、やっぱり暇な仕事の方がいいと思うようになった。自分で選んだ仕事なのにどうしてこんな仕事を選んだのか?悔んだ。
じゃあどうすればこの忙しいというストレスから解放されるんだ?辞めて、暇な仕事を見つけるのか?その時にストップをかけるのが「初心忘れるべからず」という昔からのことわざだった。あの時、忙しい仕事を選んだのは自分じゃないか?なぜ忙しい仕事を選んだのか?それは暇な仕事はもう嫌だと思ったからじゃないか?そこで暇な仕事に戻ってどうするんだ。また暇な仕事は嫌だという気持ちに逆戻りするんじゃないか?そう思うと辞めようとしていた自分の考えがとても浅はかなものに感じた。
忙しい時は暇に憧れ、暇な時は忙しさに憧れる。なんとも都合のいい考えだと思った。
本当に自分が何を求めているのか?忙しいことで得られる充実感か?暇で得られる心のゆとりなのか?何度も転職を繰り返したが、ちょうどいい忙しさに出会うことはなかった。結局どこかで自分が納得しなければ長続きしない。そんな気がした。