ありがとう熊さん

食品スーパーのおやじが、生き方について辛いことも楽しいことも含めて、心を込めて書かせてもらいました。

「みんながやっている」は物事の良し悪しの判断基準にならない

最初に正しい手順を教えてもらっているのに、いつの間にか横着な手順で仕事をするようになり、それが当たり前のようになることがある。以前に引越し屋で勤めていた時の事だ。そこでは新人研修があり、あらかじめ基本的な正しい手順を研修センターで教えてもらえた。しかし、現場に配属されると、現場は現場なりの手順があることを知った。
ある日のこと、割れ物を包むビニール製のクッション材をカッターナイフで切っていた。これを切る時は床に置いて切るわけにはいかないため、空中で切るので、意外と難しく、失敗しがちで時間がかかることがあった。その時も上手く切れずにもたついていた。それを見たある先輩が、声をかけてきた。先輩は「こうすれば速いよ」と最初にちょっとだけカッターナイフで切り込みを入れ、後はクッション材を手で引きちぎって見せた。確かにこれだとカッターナイフが変な方向に行かずに済む。とても便利なやり方だと思った。
それからというものの、そのやり方をすることになった。周りの先輩を見ると、カッターナイフで切る人と、手を引きちぎる人、それぞれのやり方で切っていた。現場ではそれが黙認されていた。私は手でちぎる方法を選んだ。その方が失敗しにくいと思ったからだ。新人アルバイトにもこのやり方を教えるようになった。
そんなある日、営業所長に呼ばれた。「このクッション材を切ってくれ」と言われた。私はいつものようにクッション材を手で引きちぎった。それを見た所長は「お前はなんでそんなやり方をしているんだ?」と聞いてきた。私は「みんなやってますよ」と答えた。「みんなって誰と誰だ?」この質問に私は黙り込んだ。所長はとても激しく怒る人だった。私のやり方を見て「なんで?」と聞くと言うことはそのやり方を所長は駄目だと言っているのだろう。ここで、このやり方をしている人の名前を出すと、その人も責められる。そう思い「他にやっていた人を見たことがあるのですが、はっきりと誰だったかは覚えていません」と答えた。すると「じゃあなんで、みんなやっていると言ったんだ?」私は黙り込んだ。所長は「お前はみんながやっていると言うことで、自分の責任を逃れようとしたんだ。みんなを売ったんだ」そして所長はカッターナイフでクッション材を切って見せた。 
その様子を見て、ゆっくり落ち着いて切れば綺麗に切れるもんだと思った。手で引きちぎるのに比べて切り口が綺麗だった。「最初に研修で、手で引きちぎるなんて教わってないはずだ」所長の言葉にただ謝るしかなかった。
そして所長は話を続けた。「みんながやっているは物事の良し悪しの判断基準にならない。みんなが赤信号を渡っているから自分も渡っていいのか?それと同じことだ。みんながやっていると言うのは言い訳にすぎない。自分の考えがない証拠だ。どうせ何も考えてないんだろ?だからこんな言葉が出るんだ。もっと自分で考えろ」
この時は、とても腹が立った。そもそも、手で引きちぎるやり方は先輩から教わったものだ。悪いのはその先輩だ。しかし私は先輩の名前を出さなかった。先輩をかばう形で自分だけが怒られた。どうもやりきれない気持ちになった。しかし冷静になり考えた。そしたら私が悪い。他の人がやっているからと横着なやり方を正当化するのは良くないことだと気付いた。

予定が狂った時に一緒に段取りを進めている人に相談しなければ自分勝手な人と思われる

同僚の彼と一緒に、時間のかかる作業を前もって日を決めてしようと言うことになった。私と彼とアルバイトの3人でしようと決めていた。しかし当日、アルバイトは体調を崩し仕事を休むことになった。
3人でする予定を2人でするのは大変だ。しかし、前から予定していたことだ。やると決めた以上はやろうと思い、準備に取り掛かった。そんな私に彼が近づいてきて怒った。
「3人でするところを2人で出来ると思ってるの?」
「もっと状況を考えて行動をしてくれる?」
そう言い、私から離れた。彼の言葉に腹が立った。前からやると決めていたことなのだ。予定通りに進めようとしているのに何を怒っているのだと思ったのだ。
しかし、彼の言うことも理解できた。2人でするのは確かに難しい。それならば、今日はやめとこう。違う日にしようと言う気持ちになった。
なので、彼に近づき「言われた通り状況を考えたら無理ですね。だから、予定を変更して作業を中止しますね」と言った。
これに、彼はまた怒った。「なんで勝手に決めるの?私はやる気でいたのに、急にやめると言われたら気分が悪いよ」この言葉に私も腹が立ち言い返した。「『状況を考えて行動してくれる?』と言ったよね?それは今日はやめといた方がいいってことだよね?」私の反論に彼は「やめようとは一言もいってない」と返してきた。
これ以上口論しても仕方がないと思い、結局は「予定通りに行おう」ということになった。そして時間はかかったものの無事に作業が終わった。
後で別の同僚に、「彼は、予定通りにしようとしていた私に怒ってきたから、じゃあやめておこうということにしたのに、それに対しても怒ってくるなんて、なんという身勝手な人なんでしょうね?」と愚痴をこぼした。
これを聞いた同僚は、「あなたは状況を良く考えて行動をしたと思うよ。でも、あなただけじゃなく、あの人も状況を良く考えていたと思うよ。しかし、二人で一緒に考えなかったことが衝突につながったんだと思うよ。あの人は、『どうして相談してくれないの?私だって段取りを考えているのに』と思ったんじゃないかな?」と言った。
後で、冷静になって考えると自分が身勝手なんだと気付いた。状況を考えて行動しているのは自分だけではなかったのだ。時間がかかるものほど、大変なものほど、重要なものほど一緒に行う仲間との相談が必要なのだ。
 そしてこの件で一番の問題はアルバイトが急に休むことになった時に何の相談もしなかったことだ。
 やると決めたことをやるにしても、一言あった方が良かったのだ。「アルバイトが急に休みになって二人でやることになるけれど頑張りましょうね?」「二人ですることになるけれど、どのように段取りをしましょうか?」それらの問いかけが必要だったのだ。

向上心を持つことは大切だがそれが毒にならないように気を付けることはもっと大切だ

大手のスーパーで店長を経験したことのある男が、そのノウハウを引っさげて入社してきた。とても仕事に対してガツガツしていると評判の、はりきり君だ。
そのはりきり君は入社してわずか1年ほどで店長を任され、しかも店の売上の前年比を大幅にUPさせ、上司から期待された。その中でも特に期待されたのは、彼の売り場作りのノウハウだ。
センスももちろんのこと、きちんと数字を分析して、他のスーパーの売り場も参考にしながら彼が作った売り場は、まさに売れる売り場だった。
そんなはりきり君は一つの店の店長であるにも関わらず、本部の上司から他の店にも「あなたのノウハウを教えてあげなさい」と言われ、売上が低迷している店を中心に他店を回ることになったのだ。
うちの店にもはりきり君は来て、売り場の改善を一緒にしてくれた。はりきり君は私に「熊さんはこの仕事好きですか?」と聞いてきた。私は社交辞令で「好きですよ」と答えた。すると彼は「あー良かった。実は、僕はこの仕事が大好きなんですよ。やっぱり仕事というものは好きと言う気持ちから始めるのが一番だと僕は思うんですよね。だから熊さんがこの仕事を好きと言ったその気持ちは忘れないで下さいね」と言った。
忙しさにうんざりしている社員がほとんどの中で彼のはりきった言葉はとても新鮮に耳に入ってきた。
ところが、しばらくすると、上司からはりきり君が会社を辞めたことを聞かされた。原因は欝病だ。ビックリした。あれほどやる気に満ち溢れていた彼がどうしてかと思った。
上司の話によると「あいつは可哀想な奴だ」ということだった。どういうことかというと、自分の店の数字も維持しながら、本部から他店の改善も求められて、それでもガツガツした姿勢を崩さなかったはりきり君はついに、自分の器以上の仕事を抱え込みすぎて気がおかしくなったようだ。
そんなはりきり君に。町で偶然に会った。久しぶりの再会に嬉しくなった私は、彼に今は何をしているのか聞くと、派遣の仕事をしていると答えてくれた。「えっまじか?もったいないだろ」と思った。
売り場作りの能力が高いのだから、正規雇用でどこかの小売業の会社に行ったらいいのにと思ったが、そこは突っ込まないでおいた。
そんな彼との再会を思い出し今思うことは、人は忙しすぎても暇すぎても向上心を維持するのが難しくなることだ。
世の中には努力よりもセンスを重要視し、そう簡単には重要な仕事のチャンスが貰えない職場もある。そんな職場ではチャンスを貰えないことに対してストレスを感じてしまうのだ。そのストレスは向上心が強ければ強いほど比例して大きくなるものだ。
逆に仕事量の多さにうんざりしている人が多い職場では、向上心を見せれば見せるほど多くの仕事が与えられ、向上心を維持出来ないレベルになることもある。
働く上で向上心を持つのは素晴らしい事だが、職場の状況と自分の器を考えた上で、どの程度の向上心を持つかどうかを考えないと、その向上心は薬になるどころか毒にもなるということだ。