ありがとう熊さん

食品スーパーのおやじが、生き方について辛いことも楽しいことも含めて、心を込めて書かせてもらいました。

7つの習慣を分かりやすい言葉で短くまとめました。

あなたの人生を他人の責任にしてはいけない。

自分の人生を他人にゆだねてしまうからだ。

現在の自分をつくったのは過去の自分の選択。

未来の自分をつくるのもこれからの自分の選択。

環境が悪いのではない。

どのような環境の中にも選択の自由はある。

与えられた環境を生かすも殺すも自分次第だ。

人生の責任は自分にあると認識する習慣。

それが自分の人生を切り開く力の源になる。

そして自分が目指すものを明確にせねばならない。

進むべきゴールが分からねば人生に迷いがでる。

目指すべきものを思い描く習慣。

それが戦略を立てるための土台になる。

目的を達成するための選択にはやりたくないこともある。

人間は感情に流され楽な選択をしてしまう。

それを防ぐために優先順位を決める習慣が必要だ。

大きな目的のためには周囲の協力が必要だ。

自分の利益だけにこだわると周囲からの協力は得られない。

相手の利益を考える習慣があることで競争の場が協力の場になる。

さらに協力の場を強固なものにするためコミュニケーションが大事になる。

コミュニケーションの基本は相手を理解することだ。

相手が「自分は理解されていない」と感じるならば、自分も理解されない。

相手の気持ちを理解したコミュニケーションの習慣。

それがあることで相手は良き理解者として一緒に頑張ってくれるのだ。

そうして作り上げた場をより強固なものにするために必要なことがある。

相手との相乗効果を意識する習慣だ。

互いの違いを尊重することで1+1が2ではなく3に広がりを見せる。

人にはそれぞれの強みがある。

お互いの良いところを尊重し助け合うことで大きな力が生まれる。

世の中には目的のため無理をしすぎて体を壊す人がいる。

せっかく成功しても体を壊してしまえばその喜びの大半が失われる。

そうならないために必要なのは自分の体を大切にする習慣だ。

無理をしすぎて精神が病んでしまうと上手く行くことも上手く行かない。

時には休み、精神をリフレッシュさせることも必要だ。

幸せの基本は健康であり、健康な体と精神があってこそ成功の喜びを感じられる。

「自分にはこれしかない」の落とし穴

自分にはこれしかない。

 

人生をかけた戦い。

 

そんな気持ちで物事に取り組んだことはありますでしょうか?

 

僕にはしょっちゅうあります。

 

崖っぷちの戦い。

 

背水の陣。

 

そう思うことで、自分を追い込むことで

 

物事は上手く行く気がする。

 

とくに大きなことを成し遂げるためには

 

それなりの覚悟がいると思う。

 

自分を追い込む。

 

追い込むことで実力以上の力が引き出され

 

成功に導けるような気がしてなりません。

 

でも、こんなニュースが目に入ってきました。

 

東京大学の入試を受けに来た若者3人が

 

刺されたと。

 

犯人は高校生。

 

東京大学への入学を目指していたのが原因だと。

 

なんのこっちゃ?と思い

 

ニュースを見ると

 

来年、東京大学を受験するため勉強していたが

 

成績が振るわなく自信をなくしたと。

 

40代後半のおっさんとして見ると

 

「おいおい、そんなしょうもない理由で?」となるのですが

 

もしも彼の立場だったら?

 

自分の人生は東大に入ることと思っていたなら、それに対する挫折というものは計り知れないかもしれない。

 

僕は県内でも1位2位をあらそうほど偏差値の低い高校をでたので

 

東大なんて夢のまた夢。

 

「ハイ」と返事できれば、足し算が出来れば入学できたような高校を出たので、偏差値の高い学校に通える実力があるだけでも羨ましい。

 

東大に行けなくても、東大を狙う実力があるならば

 

いくらでも入れる大学があると思うし、人生はバラ色。

 

羨ましい。でも本人はそうは思わなかったんでしょうね。

 

実力があっても自分の実力に絶望し

 

自分のことを「落ちこぼれ」だと思い

 

反抗に及んでしまう。

 

僕から見れば優等生。でも優等生の中にいると心が限界になる子供もでてくる。

 

「自分にはこれしかない」と思うことで力を発揮できることもあるけれど

 

どこかで「これがダメでも、いくらでも道がある」と逃げ道がなければ

 

よからむ方向に舵をきってしまうのでしょうか。

 

なにがあっても

 

めげない

 

くじけない

 

前を向く。

 

人生には失敗や挫折なんて山ほどある。

 

大人なら誰もが経験として身につけていることでも

 

経験の浅い子供には挫折にたいする免疫がないわけで

 

少しつまずいただけで精神に不調をきたすこともあるのでしょう。

 

そんな時に手を差し伸べられる大人でいたい。

 

「人生にはいろんな選択肢がある」

 

と教えてくれる大人がいることで救われる命もある。

 

子供が知っている以上にはるかに多く人生には選択肢があると大人は知っている。

 

でも子供たちにはまだそれだけの視野の広がりがない。

 

そこをどうやって救うのか?

 

年頃の子供を持つ親として、もしも自分の子供が挫折をしたとき

 

どんな言葉をかけたらいいのか?

 

そんなことを考えさせられるニュースだと思った。

 

私たちは彼の気持ちに理解を示し、応援することにした。

一人のアルバイトが辞めると言ってきた。いきなりのことで驚いた。長年一緒に働いて、とても頼りにしていたのだ。もちろん彼がずっとアルバイトのままでいるとは思っていなかったが、まだまだ一緒に働けると思っていた。

彼に理由を聞いてみた。すると、彼がうちでアルバイトを始めたきっかけは、正社員の仕事を見つけるためのつなぎだったのだ。しかし、思ったよりも人間関係が良く、居心地も良かったため気付いたら何年もいてることになったそうだ。さらに、慣れた仕事に愛着がわいてきてずっとこの仕事を続けたいという気持ちにもなったそうだ。

しかし、当初の目的は次の仕事が見つかるまでのつなぎであり、居心地が良いからと甘えた気持ちでは、なかなか行動に移せないと思ったそうだ。

私たちは、「そうは言っても、うちで働きながらでも就職活動は出来るんじゃないの?」と聞いたのだが彼としては自由に動ける立場になって本腰を入れて職を探したいそうだ。次の就職先から、「明日からきてくれ」と言われても応じることの出来る自分でいたいそうだ。

それに、居心地のいい職場に居続けていると本気で職を見つけようという気持ちに彼はなれないそうだ。

私たちは彼の気持ちに理解を示し、応援することにした。彼が抜ける穴は大きいのだが、彼の将来のことを考えると気持ち良く送り出してあげたくなったのだ。

長年一緒に働いてきた大事な仲間である彼に、みんなで送別会をしてあげようと言うことになった。

職場のみんなで居酒屋に行き、彼との思い出話に花が咲いた。みんなが彼に、「○○君が居なくなると寂しくなるよ」「○○君をすごく頼りにしてたんだよ」と言う姿を見て改めて彼がみんなから愛されていることを知った。

 そして彼は、「皆さんには大変お世話になりました。とても居心地が良くて気付いたら何年もいてることになりました。でも、このままでは居心地の良さに甘えて本気で就職活動が出来なくなると思い、これでは駄目だということで辞めることにしました。ここで学んだことはしっかりと次の仕事でも生かしたいと思います。皆さん有難うございました」と最後の挨拶をした。

しっかりとした挨拶にみんなが拍手をした。「頑張れ、きっと就職出来る」とみんなか彼に応援の言葉を投げた。

その後、彼が居なくなり寂しさを感じたが、みんなで彼の抜けた穴を埋めるべく頑張った。しかし1カ月ほど経った時に彼から店長に電話があった。

「彼はうちに戻りたいそうだよ」と店長から聞きて驚いた。送別会をしてからまだ1カ月しか経っていないのにその様なことを言うのは早すぎるだろうと思った。

店長は「みんなの気持ちもあるから後で電話をすると言って返事を保留にしたようだ。他のみんなの意見も私と同じだった。「あれだけみんなで『がんばれ』と声援を送ったのにこんなにすぐに諦めて戻って来てもいいの?」という考えだった。

みんなの意見が一致し、店長は彼に電話をした。「お前は『戻りたい』と言ったけれど本当にそれでいいのか?」店長の言葉に彼は、「いろいろ考えた結果なのでそれでいいです」と言った。

しかし、その言葉を店長は怪しんだ。「色々考えた結果とは思えない。この前送別会をしたばかりだろ?本当に就職活動をしたのか?いくつ面接を受けたんだ?」

どうやら彼は2つの会社の面接を受けて採用されなかったただけで、「自分は駄目だ」と決め付けたようだ。

そこで店長は言った。「お前が戻ってくれたら随分助かる。しかし、お前を送り出したみんなの気持ちを考えろ。拍手で送り出したのはお前に期待をしたからだ。どうでもいいような奴にはこんなことは言わない。あれだけみんなから認められたお前が就職出来ないなんて考えられない。本気で3カ月職探しをしてみろ。それでも見つからなかったら再度俺に相談してこい」

 この店長の言葉に押されたのか、ほどなくして彼はある会社に正社員として就職出来た。彼が店に挨拶をかねて就職の報告をしに来た時、みんなは、もう一度拍手をした。「おめでとう。頑張れよ」と。

送別会には親の愛が詰まっている。出ていく人には期待を込めて送り出している。もちろん本当に駄目だったなら受け入れてあげたい気持ちもある、それは大事な仲間だからだ。

 あの時みんなが反対をしたのは、戻ってきてほしくないからではないのだ。本心は戻ってきてくれたら助かる存在なのだ。しかし、本当に彼のことを私たちは考えていたから彼にも良く考えてもらいたかったのだ。

店長が「本当にそれでいいのか?」と言ったのは、簡単に「自分は駄目だ」と諦めてほしくはなかったからだ。