ありがとう熊さん

食品スーパーのおやじが、生き方について辛いことも楽しいことも含めて、心を込めて書かせてもらいました。

向上心を持つことは大切だがそれが毒にならないように気を付けることはもっと大切だ

大手のスーパーで店長を経験したことのある男が、そのノウハウを引っさげて入社してきた。とても仕事に対してガツガツしていると評判の、はりきり君だ。
そのはりきり君は入社してわずか1年ほどで店長を任され、しかも店の売上の前年比を大幅にUPさせ、上司から期待された。その中でも特に期待されたのは、彼の売り場作りのノウハウだ。
センスももちろんのこと、きちんと数字を分析して、他のスーパーの売り場も参考にしながら彼が作った売り場は、まさに売れる売り場だった。
そんなはりきり君は一つの店の店長であるにも関わらず、本部の上司から他の店にも「あなたのノウハウを教えてあげなさい」と言われ、売上が低迷している店を中心に他店を回ることになったのだ。
うちの店にもはりきり君は来て、売り場の改善を一緒にしてくれた。はりきり君は私に「熊さんはこの仕事好きですか?」と聞いてきた。私は社交辞令で「好きですよ」と答えた。すると彼は「あー良かった。実は、僕はこの仕事が大好きなんですよ。やっぱり仕事というものは好きと言う気持ちから始めるのが一番だと僕は思うんですよね。だから熊さんがこの仕事を好きと言ったその気持ちは忘れないで下さいね」と言った。
忙しさにうんざりしている社員がほとんどの中で彼のはりきった言葉はとても新鮮に耳に入ってきた。
ところが、しばらくすると、上司からはりきり君が会社を辞めたことを聞かされた。原因は欝病だ。ビックリした。あれほどやる気に満ち溢れていた彼がどうしてかと思った。
上司の話によると「あいつは可哀想な奴だ」ということだった。どういうことかというと、自分の店の数字も維持しながら、本部から他店の改善も求められて、それでもガツガツした姿勢を崩さなかったはりきり君はついに、自分の器以上の仕事を抱え込みすぎて気がおかしくなったようだ。
そんなはりきり君に。町で偶然に会った。久しぶりの再会に嬉しくなった私は、彼に今は何をしているのか聞くと、派遣の仕事をしていると答えてくれた。「えっまじか?もったいないだろ」と思った。
売り場作りの能力が高いのだから、正規雇用でどこかの小売業の会社に行ったらいいのにと思ったが、そこは突っ込まないでおいた。
そんな彼との再会を思い出し今思うことは、人は忙しすぎても暇すぎても向上心を維持するのが難しくなることだ。
世の中には努力よりもセンスを重要視し、そう簡単には重要な仕事のチャンスが貰えない職場もある。そんな職場ではチャンスを貰えないことに対してストレスを感じてしまうのだ。そのストレスは向上心が強ければ強いほど比例して大きくなるものだ。
逆に仕事量の多さにうんざりしている人が多い職場では、向上心を見せれば見せるほど多くの仕事が与えられ、向上心を維持出来ないレベルになることもある。
働く上で向上心を持つのは素晴らしい事だが、職場の状況と自分の器を考えた上で、どの程度の向上心を持つかどうかを考えないと、その向上心は薬になるどころか毒にもなるということだ。

「規則だから出来ません」では納得されないことも想定しないと大きな時間をとられる

お客様は購入した一升瓶のお酒を買ってから、袋詰めをする台に置いたまま、その場を離れ、買い忘れていた物を買っていたそうだ。するとその間に置いていたはずのお酒が消えていたそうだ。そして従業員が疑われた。
「従業員が盗ったんじゃないの?」
「いえ、そういうことはしません。万が一ここに置いてある商品を持って行く時は忘れものとして必ずお預かりしますから」
「じゃあ、どうしてなくなるの?」
「もしかしたら別のお客様が持って行ったかもしれないですね」
「まぁ、とにかく私が買ったのは間違いないよ。レシートもちゃんとあるからね。だから早く持ってきてくれる?売り場にまだいっぱい並んでいたでしょ?」
「申し訳ございませんが、そのようなことをすると、お客様が購入された商品以外にお渡しする事になるので、出来ないんです」
「それじゃ、金だけ払って手ぶらで帰れと言うこと?私は買ってない商品を渡せと言っている訳と違うのよ?ちゃんとレシートがあるのよ」
「購入されたことは分かるのですが、その商品はここからなくなったわけですよね。そうするとそれ以外にもう1本お渡しするということは出来ないんです」
「私はどう納得したらいいの?」となかなか納得されないお客様。そういうことならと私が防犯カメラの映像をチェックするということになった。すると、お客様がお酒を置いた瞬間もちゃんと映っていて、さらにその後、お客様がその場を離れた後に別の女性のお客様がそのお酒を袋に入れて持ち去るところもばっちり映っていた。そのことをお客様に伝えた。
 すると、「その映像を見せてくれ」と言われた。しかし、会社の決まりで防犯カメラの映像をお見せする事は出来ないと伝えると・・・
「何言ってるの?それぐらいどこでも見せてくれるよ」
「申し訳ないのですが、規則なんで・・・」
「そんなことで納得出来ると思うの?」
「申し訳ないのですが規則である以上は勝手な真似が出来ないんで・・・」
「それだったら、子供が変質者に襲われた時でもあなたは、そんな言い訳するの?」
「いや・・・それは・・・」
「私は別に無茶な要求をしてないよ。ただ納得したいから言ってるだけなの。。あなたは店長さんか?」
「いえ、店長は本日公休になってまして・・・」
「それなら、上の人に相談してからものを言いなさいよ」と言うことで店長に電話をした。すると、本来は防犯カメラの映像はお客様に見せてはいけないのだが、店長が出した答えは「ややこしいお客様だから見せてあげて納得させてあげよう」ということだった。
そういうことで、お客様に事務所まで来てもらい一緒に映像を見てもらった。別のお客様に盗られた瞬間がばっちり映っているので、店の従業員が盗ったわけではないことが分かってもらえた。
後は警察に被害届を出すかどうかはお客様の判断になる。しかし、お客様から、「じゃあ、今から一緒に警察に来てくれるよね?」と言われ、「え?」と驚いた。
そんなに暇じゃないのだ。忙しいのだ。だから、「申し訳ないのですが、私たちにも店での業務があるので、ここまでの事しか出来ないんです」と言った。すると・・・
「それぐらい、どこでもやってくれるよ。それにここの店の中で起きた犯罪でしょ?店の外で起きた犯罪ならともかく店の中でのことでしょ?」
「お気持ちは分かるのですが、お会計が終わった後の商品の管理については責任を負うことが出来ないんです」
「そんなことはないでしょ?」
私はしばらく、やんわりと断り続けた。そしてお客様は、警察への被害届は自分でされることに納得されて帰った。久しぶりに難しさを感じる対応だった。
防犯カメラの映像をお客様に見せてはいけないのは会社の規則だ。警察や、裁判所の公的機関からの要請があった場合だけ、見せることが出来るのだ。
 個人情報の保護の観点から見せられないという理由は後から知った。あの時知っていたら、もっとスムーズに納得に至ったかもしれない。
 お客様の中には「規則だから出来ません」では納得されない人もいる。なぜ、その規則があるのか?そこまでをきちんと説明出来ないと納得されないのだ。

「どうせ駄目」と現状を嘆く人が現状を変えることはありえない

健康食品の営業をしていた。会場にお客さんを集めて、インストラクターが前で商品の宣伝をして、アシスタントが注文を取っていくという営業スタイルだった。景気が良かった頃は高額の健康食品や健康器具がばんばん売れた。しかし世間の景気が悪くなるにつれて年々売上が減少していった。そんな現状をみんなで嘆いた。
「もうこの業界は終わりだな」「これだけ景気が悪くなったら財布の紐も固くなるよな」「あと十年後には業界そのものが無くなってるかもしれないよな」
頭の中を不景気だという考えが支配するようになった。「どうせ売れないだろう」という考えが幅をきかせるようになった。そのうち営業所の売上は危機的な状況になっていった。
そんな中、社長がインストラクターとして営業所にやってきた。社長はとても話が上手く、天才インストラクターと呼ばれていた。お客さんが集まり、社長が話を始めた。私たちはそばで相槌を打って場を盛り上げる役割。話が始まって間もなく、耳を疑うようなことを社長が言った。
「お前ら全員帰れ」この言葉に「え?」と戸惑う私たちに「聞こえなかったのか?」と社長。お客さんも何がどうしたのかと静まりかえった。店長が恐る恐る「私もですか?」と聞くと「当然だ。全員と言っただろ」と返ってきた。「絶対に戻ってくるなよ」と社長に言われ、しぶしぶ、みんなで営業所を出た。会場には百人近いお客さんがいてた。社長一人では無理だろうと不安に思った。
その後、みんなで喫茶店に集合し「あれはどういうことだろう?」
「売上が減少していて怒ってるのか?」
「でもあれだけの人数のお客さんを社長一人で相手できないだろ?」
「でも社長が帰れと言ってるから仕方がないな」
その様な話をしてから帰った。次の日、私たちは普通に出勤した。社長も普通に出勤していた。いつも通りお客さんが集まり、話が始まった。社長は昨日のことについて話し出した。
「昨日はお騒がせして申し訳ございません。私は信念をもって仕事をしています。商品に絶対の自信があり、手に入れた方が喜んでくれる姿を見るために頑張っています。だから見えるのです。彼らにその意気込みが足りてないことを。それに我慢出来ない私は昨日、彼らを帰らせたのです」それから商品の説明に入った。
その後、驚いたことに注文が殺到した。お客さんに社長の自分一人でもやってやるという気迫が伝わり、感動を与えたようだった。その後、営業所の売上は上がっていった。この出来事は現状を嘆く私たちへの社長の荒療治だと思った。百人近いお客さんを前に、私たちを帰らせて一人で営業をした社長。「何かあったらどうするんだ?」そんなリスクを取ってまでも私たちの心に火を付けてくれたのだ。
その後、いろいろあり会社を辞めた私。あれから何年も経った今、相変わらず私は現状を嘆くのが好きだ。そして嘆く仲間を作りたがる。まるで羊の群れのように集まり現状を嘆くことが多々ある。羊の群れの中での温かさは心地がいいもんだ。
しかし、あの時の社長の行動は忘れられない。社長の、たとえ一人になってでもやってやるという恐ろしいまでの気迫に私はしびれた。男がしびれる男。そんな男にはそうそう出会えるものではない。私もいつかはそうなりたいと思っている。