「最初から上手い人はいない」という甘ちゃんな言葉はプロの世界では通用しない
職人の世界に憧れて・・・
20代のころ工事現場の職人をしていました。シーリングといって建物の隙間にゴム状のものを埋め込む仕事でした。
手に職をつけて独立が出来る夢のある仕事でした。しかし、なかなか仕上げの作業を任せてもらえなかったのです。
いつまでも難しい仕事をさせてもらえないストレスに悩みました。
シーリングって何?と言う人も多いと思います。
簡単に言うと、ビルの窓ガラスを見るとガラスとサッシの間にゴム状のものが見えると思います。
そのゴム状の物質、実は最初はドロドロの半液体状のものです。最初から出来上がっている固いゴム状の物質ではありません。その半液体状のものを、すばやく固まらないうちに仕上げる職人技が必要です。
作業を簡単に並べるとこうなります。
1 掃除
2 材料を入れる前に材料が奥に行きすぎないようにスポンジ状のものをはめ込んでいく作業
3 材料を入れる前に周りを汚さないようにテープを貼って行く作業
4 ガン打ちといってガンという器具で材料を埋め込んでいく仕事
5 仕上げといって、埋め込まれた材料を綺麗に仕上げる作業
1番と2番は入って1日目の新人でも出来る仕事です。もちろん丁寧な人とそうでない人との差は生まれるのですが、とりあえずは新人はそればかりをすることになります。
しばらくすると、先輩から「お前、そろそろガン打ちしてみるか?」と言われます。これも人によって習得できる期間は違うものの、私が知る限り1年以上シーリングをしている人でガン打ちが全く出来ない人は見たことがありません。
上手い下手はあるものの割とみんな出来るようになります。 問題は3番目のテープ貼りです。ここから器用な人と、そうでない人との差が生まれやすいと思いました。ミリ単位の指の感覚で貼って行くのです。
ただ、何度もやり直しがきくので、ゆっくりやれば何とか出来る作業だとは思います。まぁ、ゆっくりしたら怒られるんですけどね(汗)。
そしてテープ貼りもガン打ちもそこそこ出来るようになると最後の仕上げの作業があります。これは、はっきりと上手い、下手くそが分かりやすいです。
目に見えて仕上がりの綺麗さが職人によって違います。
そんなもの、ゆっくりやれば出来るだろ?と思うかもしれませんが、ゆっくりしていると材料は固まりだします。
一発で綺麗に仕上げないと、何度もやり直しをしたら仕上がりがボロボロになります。 つまり、不器用な人が不器用なりにゆっくりと丁寧にやればいいと言う事ではありません。
なので、比較的簡単なものから感覚を掴んでいき、技を磨いていく必要があります。私は、5年やりましたが、最後の仕上げをほとんどやらしてもらえませんでした。
それに比べて、同じ時期に入った人達はどんどんやらしてもらっていたのです。私は仲の良くなった先輩に愚痴をこぼしたことがあります。
「やらしてもらえないと、いつまでたっても僕は上手くなれないですよ」
すると、先輩は、「上手い奴は最初から上手いんだよ」 つまり、「僕だって、何度もやらしてもらったら上手くなれるのに」という私の考えを否定しました。
私は先輩の言葉が納得いきませんでした。 なぜなら、最初から上手い奴なんていないと思うからです。
学校の先生からも聞いたことがあります。「誰でも最初から完璧に出来る人はいない。だから努力が必要だ」と。しかし、先輩は、「いや、違う。そうじゃない」と言いました。
さらに先輩は「職人はセンスなんだよ」と断言しました。
「なんじゃ、それは?」と腹が立ちました。なぜなら、よくテレビとかでもありますよね。
最初は全然駄目だった人が努力で一流になるっていう話が・・・。 しかし、そんな私の考えは、「勘違い」だと言ったのです。
さらに先輩は、もう一人のベテラン職人に・・・「なあ、そうだろ?職人は努力でなく、センスだよな?」と聞きました。すると、もう一人の先輩も・・・
「本当の事だと思う。いろいろな若い奴見てきたけど、上手い奴は出てきた瞬間から上手いんだよな」と答えました。経験に基づく実感のような理論に私は「そ・・・そうなのかな」と思いました。
ちなみに私は不器用な面があったのですが、なぜか先輩には可愛がってもらいました。その可愛がりと言うのは、面白い奴だな的な可愛がりだったのですけど(汗)。
だから、たまに仕上げを「やってみる?」って言う感じでやらしてもらったりもしましたが、私がモタモタしていると、「ハイ、そこまでーー」と言う感じで、そこからチャンスがしばらく遠ざかったのです。
つまり、教えたことをすぐに出来るセンスのある人しか相手にしてもらえないのです。
それでも私を気にしてくれた先輩は、見て盗めという職人の世界の中で、手とり足とりで教えてくれたことがあります。
「力を抜け」と言われ、先輩が私の手をつかんで、手の動かし方を教えてくれたことがあります。
「オイ、力を抜けって言ってるだろ?」
「え?抜いてますけど」
「いやいや、抜いてないだろ?」
「あっハイ!」
「よし、こうして、こうもっていって、こうすればいいんだよ」
私の手で仕上げをする先輩。その手の動きを覚えろということです。
「じゃあ、やってみろ」
ここまでやってもらってるのに、上手く出来ませんでした。え?そこまでやってもらってて出来ないの?とこれを読んでいる人は思うでしょう。
情けないのですが出来ませんでした。だから、結局は教えた瞬間に感覚をつかむことが出来る人だけにどんどんチャンスが与えられるのです。
だから「職人はセンス」だというのは一理あります。
しかし、チャンスを与えられない悔しさはハンパではありません。仕上げでも簡単なものなら出来ます。
その簡単なものから少しづつステップアップして感覚を磨いていきたいのですが、その場数が与えられません。この場数が与えられないストレスは仲良くなった職人仲間の一人も感じていたようで・・・
「実は面白いことを考えてるんだよ」と私に言った職人仲間の一人
「実は面白いことを考えてるんだよ」 そう言った彼は、3年以上シールの仕事をしていましたが、ある一定のレベルからほとんど自分が成長出来ないことに対する不満をもっていました。
そして、思い切って会社を辞めると言ってきたのです。しかも、彼は私だけに、こっそりと教えてくれました。別のシーリングの会社に行くことを。
「えっ?それってもったいなくないですか?別の会社に行ったら一からのスタートですよ?」
「ええねん。どうせここにいても芽がでないから。それよりも3年やってるからそれなりにガン打ちもテープ貼りも出来るし、別の会社で新人として働いたら逆に目立つと思うねん」
実は彼は、私が先輩から、「上手い奴は最初から上手い」と言われたあの時にそばにいてたのです。
じゃあ、最初から「あっこいつやるな」と思わせたら勝ちなんじゃないか?」という発想になったのです。
つまり、3年間の経験を隠して、その経験をいかにも自分のセンスの良さとしてアピールしてやれという考えなのでしょう。
その後の彼が成功したのかどうかは連絡を取っていないので分かりません。とても残念なことです。逆に私は職人の世界に5年で見切りを付けて、まったく別の仕事をすることにしました。
厳しい現実を受け入れる。
今、先輩から言われた、「上手い奴は最初から上手い」という言葉を思い出すと、その言葉には深い意味が込められているように思います。
最初から上手いという最初って何なんでしょう?そう考えると出会った瞬間。教えた瞬間を指しているのだと思います。
職人の世界なので、単刀直入にものを言う人が多かったので、回りくどく深い意味まで言わなかったのだと思います。
最初というのは生まれてきた瞬間の事ではないはずです。生まれてきてから今までの間に身につけてきたことが問われる瞬間の事だと思うのです。
そう言う意味では、与えられたチャンスを生かすも殺すも、それまでにいかに自分が準備をしてきたかによるのでしょう。
そして、長年やれば報われるという世界でもありません。20年。30年経っても大事な仕事は任せてもらえない職人も山ほどいました。
早い段階から、「こいつは筋が良い。こいつはそうでない。」「こいつはものになる。こいつはそうでない」と振り分けられるのです。
つまり、プロの世界は学校ではないのです。学校なら落ちこぼれても先生が何とかしてくれます。
「最初から上手い人はいない」と子供時代に先生に教わったこと。残念ながら、それは言い訳になる世界です。
あの時先輩が「違う。上手い奴は最初から上手い」と言ったのは、甘ちゃんな私に厳しい現実を教えてくれたのでしょう。