ありがとう熊さん

食品スーパーのおやじが、生き方について辛いことも楽しいことも含めて、心を込めて書かせてもらいました。

カモ客はさらなる刺激を求めて先生に会いに行く

世の中は、やらかす人とやらかさない人に分かれていて、やらかさない人は理解出来ないから私の教えを批判していると先生は言っている。

しかし、世の中の人を都合よく白と黒に分けられるものではない。一番多い層は白と黒が混ざったグレーゾーンだ。

先生はなぜ、世の中の人を独自の考えでタイプ分けをしたがるのか?

他の教えと差別化をしたいのだろう。

また、先生は他の教えと差別化を図るため、このような奇をてらった発信を好んでしている。

「『そんなことばかりしてたら苦労するよ』と言われて育つと苦労するよ。なぜなら、『苦労するよ』という大人からの脅しに屈して、苦労すると思い込まされているからね」と。

そんな先生の脅しに屈しないでもらいたい。当然、そのような発信に気分を悪くする人もいる。そんな人に対して先生はこう言い放つのだ。

「人の気持ちを考えて自分を大切にしないのは心がよじれているからで、姿勢を正すのは痛みをともなうが楽になれるのと同じで心のよじれも矯正には痛みをともなうんだよ」と。

批判の声を痛みを訴える声にしてしまうのだ。なんという強引な手口だ。

とにかく先生は、自分の世界にカモ客を引きずりこみたいのだ。

「心の世界には素敵な魔法があります。感情さんがいやだと思った時は神様が、あなたが古いものから離れて新しいエネルギーを受け取れるかを見ているのです。新しいステージに行く前は感情さんに従うのが一番です。そんなあなたを私はサポートします」といってサポート代を稼ぐ宇宙女子にご注意下さい。

「人はいつ死ぬか分からないから、持っているお金はドンドン使い、先に美味しい思いをしよう」と先生は言うが、いつ死ぬか分からないと言うことは長生きするリスクもあるだろう。

「私は大丈夫を腑に落とすには大丈夫じゃない部分をさらして体験しないといけない」と言う先生の教えを真に受けて大丈夫ではない恥ずべき行動をして批判されても先生は助けてはくれない。

先生がいう大丈夫とは、それでも生きているじゃないかという大丈夫だからだ。

「大丈夫じゃないの思い込みを捨て去り大丈夫を腑に落とすと幸せになる」と先生はいうが、川でキャンプしているグループが三度も警察から増水するから避難しろと言われているのに「大丈夫」と返してその後、増水して流されて死亡した事故は、大丈夫じゃないを捨て去り大丈夫を腑に落とした結果だ。

「なせ、やりたいことを我慢する?太るのが嫌だから食べないのか?長生きしたいから?お金がもったいないから安いものですますのか?美味しいものをいつ味わうんだ。今しかないだろう」と先生はどや顔で言うが、美味しいものは適度に味わえばいいもので先生の言葉に踊らされると暴飲暴食につながるだろう。

「やりたいことを我慢するといいことがあるのか?苦労すると報われると思っているのか?一体あなたは何のために生きているのだ」と先生は言うが私たちは目先の小さなやりたいことと将来の大きなやりたいことを天秤にかけて選んで行動しているのだ。

「学生時代にしっかり勉強していたら社会にでたときに楽になると親に言われた子は嫌な思いを先にすると後で楽になるという日本の社会にはびこる呪いにかけられていますといって別の呪いをかける先生。

「人に迷惑をかけるということは人を頼り、人に対して感謝の気持ちを持つことが出来る。それに対して迷惑をかけてはいけないという人は感謝の気持ちを持つことが出来ない傲慢な人だ」と先生は言うが、出来る限り迷惑をかけないようにしている人が感謝の気持ちを持っていないと決めつける先生の方が傲慢だ。

「好きなことが分かりません」と言うカモの質問に「今あなたがしていることが好きなことだよ。何故ならばあなたの魂がそう望んで選んだ結果だからだよ🎵」という先生は魂がすべて望ましい道を選ぶという固定観念を植え付けようとしている。

「みんなが私のために我慢している。どうしたらいいの?」というカモに「自分を迷惑な人だと決めつけているんだね。でもみんなが許しているから、あなたは迷惑ではないんだよ」と甘い言葉で自分になびかせようとする先生。

そんな言葉を信じると、よい方向に変わるあなたに期待している人をガッカリさせてしまうだろう。

「自分には生きている価値はないと思うことで楽に生きることが出来ます🎵」と言う禅問答のような発信を先生が好んでする理由は、カモは日常のささいな幸せよりも刺激を求めているから刺激的な奇をてらった言葉で集客しているのだ。

そしてカモはさらなる強い刺激を求めて先生に会いに行きたくなるのだ。