ありがとう熊さん

食品スーパーのおやじが、生き方について辛いことも楽しいことも含めて、心を込めて書かせてもらいました。

「生きる価値はないと思うことで楽に生きられる」の教えの危険性

他人に期待しないでいるとメンタルが安定するという考えがweb上で主流になっている。

確かにその通りだが、そればかりやっていると個人で完結する仕事ならいいが、みんなで力を合わせ協力する仕事において「どうせ期待しても意味ない」と悲観的になってしまうだろう。

他人に期待しないと楽になるという教えは、はたして本当に楽になれるのか?

私はそうは思わない。

理不尽なやつに「言っても無駄」とやられ放題になることもあるだろう。

制御可能な人にたいしても「期待しても無理」と決めつけ、協力し合うことからずれていく恐れはないだろうか?

他人に期待しないと楽になれる反面いきすぎると、どうせ期待しても無駄と悲観的になる。

期待しないタイプの人に囲まれた職場は寂しいものだ。

「君には期待していないよ」

「いえ~~い」

協力し合って仕事は前に進むのにね。

政治でもそうだ。国民からの期待がなければ悪い政治家にやられたい放題にされるだろう。ちなみに僕は日本の未来に期待したい。

人に期待をしないという教えを好んで使うのは宇宙セミナーの先生だ。

自分を大切にする方法論で集客をしている先生だ。

そういった先生は最近「地球のエネルギーの上昇とともに魂の時代が幕開けします。そこで自分を大切にする人とそうでない人とで乗る列車が変わります」と言っている。

これは「私たちが乗るべき魂の列車に乗りましょう」と宇宙セミナーに引きずりこむ手口にすぎない。

どのような心構えでいると生きやすくなるか?

生きづらさを解消する方法論は無数の先人たちによって出しつくされている。

しかし先生は既存の理論を寄せ集め、複雑化させ、読む人を混乱させることによってさも新しい概念であるかのように振る舞っている。

そんな教えを学んでも混乱するだけだ。

「こんなことしたら迷惑かな?」

「こんなことしたら嫌われるかな?」

と他人の気持ちなどを考えずに自分の気持ちだけを考えると運がバッカーンと開けると先生は言う。

しかし、大抵の場合、バッカーンする前に、ドッカーンと他人の怒りを買うだろう。

いやん、バッカ~~ん。

また先生は、世の中や、世の中の人を都合のいいように分けることが好きだ。

例えば、世の中を、「やらかすタイプ」と「やらかさないタイプ」に分ける。

そして、両者はお互いに理解されないとする。

「やらかすタイプの人」は人の迷惑を考えずに自分の生き方が出来る。

そして「やらかさないタイプの人」は嫉妬をし、批判している

と先生は言っている。

しかし、世の中はそうしてきっちりと白と黒に分けられるものではない。

一人の人に白と黒が混ざり合うグレーゾーンが一番広いゾーンだ。

やらかす人の気持ちもやらかさない人の気持ちも両方ともわかる人だ。

そういった一番広い範囲の人が批判していることを先生は無視しているのだ。

「人に迷惑をかけることを恐れずにバンジーした人が幸せになれる」

というような、まともな人から嫌われる発信。

これは、まともでない人から好かれ、そういった人を吸い寄せることが出来る。

それを集客の柱にしている先生が増えてきている。

つまり、まともな人は最初から見込み客としてターゲットにしていないのだ。

社会に馴染めず苦しんでいる人を「人に理解されない人には天才が多い」など過剰に持ち上げる。

普段人から認められないタイプに刺さる甘い言葉で集客しているのだ。

これは社会的に孤立しがちなお年寄りを狙う催眠商法に似ている。

そういった先生の甘い言葉に惑わされないためには、その先生がハッスル言葉よりも、行動を観察すべきだろう。

頑張らない方が上手くいくと言っている先生ほど行動力がある。

どうやら頑張らなくてもいいが行動力は要らないというわけではないようだ。

「努力が義務化してしまい。頑張らなくちゃだめの固定観念に縛られ、そして、『こんなに頑張ってるのに報われない』とイライラがやってくる」と先生はどや顔する。

世の中は報われないことばかりではないのに、はなから報われないと別の固定観念を植え付けようとしているのだ。

先生が主な集客のターゲットにしているのは家庭の主婦だ。

家事、育児に日夜苦労をしている主婦の心をくすぐる詭弁を弄する先生がいる。

掃除が好きだと言う主婦に「それは、やらねばならないから、本当は好きでも何でもないことを好きという前提にしている。本当の自分に嘘をついているから本当の自分を生きられていないから、それが悩みの原因になっている」とけ詭弁を弄する。

そう言って、わざわざ悩みの原因をでっち上げて、集客する手口にご注意下さい。

先生は固定観念を崩すのが大好きだ。

普通、だれかから「私は生きている価値がないかも?」と相談されたら「そんなことはないよ」と励ますだろう。

しかし、常識的な発信では大衆を振り向かせることは出来ない。

なのでこのような奇をてらった発信をする先生がいる。

「自分には生きている価値があると思うと、価値ある自分でいなくてはいけなくなるから辛くなります。なので、最初から自分には生きている価値はないと思うことで価値あることをしなくてもよくなり楽に生きることが出来ます」と。

こういった発信はとても危険だ。

犯罪を助長するものだ。

生きている価値がない自分でいればいいといって人に危害を加えても平気になる恐れがあるのだ。

「自分には生きている価値はないと思うことで価値あることをしなくてもよくなり楽に生きることが出来る」と先生は言う。

しかし、「生きる価値はない」と思うことがどんどんエスカレートして・・・

「生きてても、無駄、意味ない、仕方がない」と生きる元気がなくなることにつながる恐れがある。

なので、そのような詭弁に惑わされないようにご注意下さいませ。