ありがとう熊さん

食品スーパーのおやじが、生き方について辛いことも楽しいことも含めて、心を込めて書かせてもらいました。

簡単な仕事ばかりさせられるのは自分の印象から来ている

20代の頃、工事現場の防水の職人をしていた。そこでは部長、課長といった役職はなく、職人としての腕前だけが周囲に認めてもらえる条件だった。
その仕事でもっとも技術がいるのが、最後の仕上げの作業だ。つまり仕上げを任せてもらえるかどうかが一人前の職人として認めてもらえるかどうかの判断基準になっていた。
私は早く仕上げを任せてもらいたい一心で頑張り、仕上げの一歩手前の仕事で、そこそこ認められるようになった。
しかし、その仕事ばかりの毎日が続いた。それに対して同じ時期に入った人達は、どんどん仕上げを任せてもらえるようになっていった。私は待ち続けた。「そのうち俺にも仕上げが任せてもらえるようになるだろう」と思った。しかし現実はそんなに甘いものではなく、何年も待ち続けることになった。
そのうち、後輩たちが先に仕上げを任せてもらえるようになっていった。もう我慢出来なくなった。「なぜ自分は頑張っているのに後輩に先を越されるんだ」そう思い悩むうちにある被害妄想がでてきた。
「仕上げをさせてもらえないのは自分にセンスがないからではない。逆にセンスがありすぎるからだ。だから俺に仕上げを任せたら先輩たちを技術で追い抜かす恐れがあるから、先輩たちはチャンスを与えてくれないのだ」と思うようになった。
事実、その仕上げの一歩手前の仕事ばかりしていた私はその仕事で周囲から大きく認めてもらっていた。だから、「仕上げがさせてもらえないのは、その一歩手前の仕事で俺の評価が高いからだ」とも思った。
この気持ちが抑えられなくなった時に、仲良くなった先輩に気持ちをぶつけた。「なぜ後輩にチャンスが与えられて僕にチャンスが与えられないんですか?」「それはお前よりもそいつが出来るからだ」とても腹が立った。
先輩に「良く考えろ。人のせいにするな」と言われ考えた。良く考えてみると、まったくチャンスがなかったわけではないことに気付いた。
とても少ないチャンスだが仕上げをさせてもらえる機会はあった。そのチャンスの時に私は上手く出来なかった。
職人の仕事は先輩の技術を見て盗まなければならなかった。それが出来なかったのだ。
しかし、私はそんなことは認めたくなかった。つまり、自分が悪いのではなく、人が悪いから、自分の能力が不足しているのではなく、逆に才能が大きくて周囲が嫉妬しているからと勝手なことを考えるようになった。そのような考えになるほど、後輩に先を越されたストレスは大きかった。
ずっと同じ仕事ばかりさせられるのは、誰かのせいにしたくなる。自分がその仕事で評価が高すぎるからと思いたくなる。しかし、結局は自分の印象から来ていると知った。後輩に先にチャンスが与えられたのは後輩の方が私よりも印象が良かったからだ。